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カリブ海のカーティス・メイフィールド

自分はカリブ海のある島に二年半ほど住んだことがある。そこで子守り兼女中として現地の若い娘の雇っていた。たしかキャンディスという名であったと思う。体の大きな女であったが、考えて見ると当時二十歳前後であるから、まだ小娘であった。

当然、自分は女中をもつことに慣れてない。かみさんは外国育ちであるけども、お母さんが女中を置くのが嫌いで、炊事でも洗濯でも何でも自分と娘たちでやってしまう人だった。だからかみさんもまた女中をもつのが苦手であった。

だが、日本ではうさぎ小屋に住んでコンビニ弁当なんか食ってる日本人も、途上国に駐在なんかすれば高級住宅街に住んでレストラン(日本的な意味ではなく、本当のレストラン)に出かけたり夜会に呼ばれたりする。小さな子どもがいると、どうしても子守りが必要になる。

加えて、近所に頼れる人のいない外国暮らしである。しかも日本人の例に違わず旦那は仕事優先である。かみさんも子育てでいい加減疲れてるから、誰かにいてもらった方がいい。

そこで人から紹介されて、子ども好きのキャンディスに来てもらうことになったのである。雇うからには中途半端では悪いから、ちゃんと雇わないとならない。出かける用事がなくても来てもらって、家の手伝いなんかをしてもらっていた。

ところが、ある日夜会で帰宅がかなり遅くなってしまった。キャンディスがもうここら辺ではタクシーが拾えないかもという。その島では相乗りタクシーがバスの代わりをしている。しかし、高級住宅街ではそんなタクシーの需要が多くないから、夜間はあまり走ってないらしい。

泊まってもらってもいいのだが、未婚の娘だし、家に電話がないから家族に連絡のしようがない。じゃあ、オレが車で送って行こうと申し出た。

ところが本人はあまり気が進まない様子で、ダウンタウンまで来たときに、「もうここでいい」と言う。いや危ないから家まで送ってくよと言ってもきかない。それで、恥ずかし気に告白するには、自分の住んでる地区はあまり治安がよくないから、車なんかで入っていったら何をされるかわからない、何か事故が起きたら申し訳ない、ということらしい。この時間ならまだダウンタウンにタクシーがあるはずだからと言い張るんで、仕方なくそこで降ろした。

まだ二十歳前後の娘が、遠い貧民街からバスを乗り継いで、はした金のために毎日高級住宅街までやって来るのである。学歴のない若い女にはそんな仕事しかない。それが貧民街に生まれてしまった彼女の宿命である。しかも、奴隷から解放されて何世紀も経った自分の祖国で、外国からやってきた成金の金持ちどもに主人面されてるのである。面白いはずがない。いかに善意を振りまいたところで、どうしても乗り越えられない溝がわれわれと彼女のあいだにはある。帰りの車で、普段から何となく感じていた罪の意識を改めて確認させられたのであった。

ところが、ある時かみさんからこんな話を聞いた。キャンディスに子どもの相手ばかりじゃ退屈でしょうと聞いたところ、「そんなことないです。それにオタクのご主人がかけてる音楽がいつも素敵だから」と言われたそうだ。

自分はそのころ70年代初頭のソウル音楽にはまっていて、カーティス・メイフィールドとかビル・ウィザースなんかのライブばかり聞いていた。特にカーティスのライブ盤は今でも自分の好きなアルバムのトップテンに入る。"We've only just begun" が終って "People get ready" のイントロが聞こえる瞬間に何度も涙を流した。

このころの黒人ミュージシャンたちは、「ご注文通りなんでも演りますぜ」というレイ・チャールズ的なしたたかな芸人文化から抜け出して、黒人として黒人のために黒人の音楽をやるという意識を強めていた。これ以来、白人と黒人の音楽は分離してしまい、今日に至るまでこの溝は埋まっていない。

当時の自分がよく聞いていたアルバムの一つにジミ・ヘンドリックスの『バンド・オブ・ジプシー』というライブ盤があって、これも自分のトップテンに常に入っている。白人のギターヒーローになったジミヘンが、ブラック・パンサーなど黒人運動に勧誘されて、やはり黒人として黒人のために黒人の音楽を作ろうと模索していた時期の作品である。ブラック・ロックとでも呼べるようなうねりのあるファンキーな音作りになっている。マイルス・デイヴィスがジミヘンにラブコールを送ったのもうなずける。しかし、ジミの早すぎる死によって、この試みは中途で断たれた。

それで、今日の多くの黒人たちはジミヘンを白人に魂を売った黒人と見なしているようである。自分の友人はハイチ系の黒人でありジミヘン好きであったが、やはり黒人仲間にはこれを口にするのがはばかられると言っていた。ロックは黒人音楽の圧倒的な影響のもとに作られたのであるが、今では白人の音楽と見なされているのである。

代わって黒人の若者の心をつかんだのは、ジェイムズ・ブラウン、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、そしてカーティス・メイフィールドなどが60年代末から70年代初頭にかけて作り上げていった新しいソウル音楽であった。

カリブの島から一歩を出たことのないようなキャンディスにも、またこの音楽が心に響いたのである。英語圏であるから歌詞もわかる。これは自分たちの歌であると思えるものがあったにちがいない。

なんだかちょっと嬉しくなって、自分がいないときも聞きたいときはいつでも聞いていいよって伝えてくれってかみさんに頼んどいた。そんなに好きならと CD を焼いてプレゼントしようと思ったんだけど、家にCDプレーヤーがないからと遠慮されてしまった。

そのころ自分は仕事に嫌気がさしていたんだが、この一件で仕事を辞めて勉強し直そうと決意を新たにした。今よりももう少しキャンディスのような人たちと共に生きれるような仕事に人生を捧げたいと思ったんである。そのときは意識していなかったけど、ブラジルでの足のない乞食との出会いによって開発問題を勉強しようとした頃の初心に戻ろうとしたのかもしれない。

果して、今の自分はそんな立派な決心からはほど遠い存在であるんだが、カーティスやビル・ウィザースのライブを聞くたびに、このことが心に浮かぶ。今日もまたカーティスのライブを聞いてこんなことを思い出したので、慰みにここに書きつけておく。

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