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見えない世界・闇の力⑷――神秘化の誘惑

ロマン主義者が啓蒙思想に反発したのは、なんでも損得ずくめの近代合理社会の薄っぺらさに嫌気がさし、崇高な真理とか純愛とか危険な冒険という貴族主義的なものを求めたからである。しかし、ぼくら庶民が闇の力に惹かれるのは、ちょっとちがう理由もある。

それは、この世界が合理的な説明を拒否するからである。合理的に組織された宇宙において合理的な人間が合理的な選択を行っているかぎりにおいて、結果も合理的であるはずだ。だが、どうしても理解できない現象がある。無辜の子どもが病気や災害や虐待で死んだり、悪人が栄えて善人が没落したりするのは、程度の差はあれ前近代とかわりがない。

よほど感受性を麻痺させた人でなければ、この世界には何か不条理なものがあると感じることがある。この不条理を説明する際に、見えない世界からやってくる闇の力という考えは魅力的であり続ける。それは、一つには望ましくない結果はオレだけのせいではないと自分を納得させることができるからだ(そして、それはたいがい正しい)。

だから、前近代の民衆的宇宙観がロマン主義の中に持ち込まれることになる。ロマン主義芸術は世俗化した宗教芸術という性格を帯びる。

ロマン主義は表面的に合理化された近代社会の「深み」、意識された部分の下に埋もれた「無意識」などというものを、再び公の場へもち出した。そのロマン主義は主に芸術を通じて民衆にも浸透していった。しかし、啓蒙思想を一回潜っているため、簡単に過去の神秘主義への復帰というわけにはいかない。

ロマン主義はもともと芸術の分野の潮流であり、社会思想や政治思想の分野においてはちょっとキワモノ的なイメージで軽視されてきた。これは一つにはロマン主義の思想家には二流、三流の人物が多いことが挙げられる。だがそれは、合理性という基準から見るとロマン主義思想がどうしても劣ったものに見えるからである。つまり、啓蒙思想の基準から見れば、当然反啓蒙のロマン主義は劣ったものに見える。

このため、アイザイア・バーリンのような例外はあるが、社会思想史においてはロマン主義にはあまり注意が払われてこなかった。それが、昨今、ロマン主義の現代的意義について見直しが行われるようになっている。自分も柳田研究を通じて、知らず知らずのうちにそうした流れの末端に属していたのである。

ここまではよく知られた話である。自分などが見いだしたのは、ロマン主義の影響は人文科学や社会科学にも及んでいるということである。先にあげた民族学(今日の文化人類学)や民俗学などは、ロマン主義の直接の影響下に生まれたものであるが、もう少し深いレベルでは社会科学全般にも影響している。

例えば、進歩を促進するヘーゲルの理性、政治や文化を規定するというマルクスの下部構造なども、「覆われた世界」や「闇の力」と同様の役割を彼らの理論で果たす。ヘーゲル、マルクスともにロマン主義を嫌っているのであるが、彼らの仕事もやはりロマン主義を媒介しないと出てこなかったろう。

現代の知識人の自己理解の無視できない要素は、この「見えない世界」からやってくる力を見抜くことができた者であるという主張にある。怪しげな主張であるが、それなしでは社会科学は成り立たない。もっとも実証科学的な学問ほど、この前提がかえって不問に付されて、強力に学問のあり方を規定している(例えば、経済学。これについては考えるところがあるので別に書く予定)。

もうすこし現代科学に近いものを見ると、フロイトの創始した精神分析は、「無意識」を意識の対象にしようという試みである。意識を規定する「見えない力」としてのイドを見えるようにし、それを統御しようという極めて再帰的な試みなのである。そういう意味で、精神分析はロマン主義の科学化とでも呼べる代物である。

だから、柳田民俗学とフロイト心理学が似たような構造をもつようになるも偶然ではないと思う。前者の対象は集団、後者は個人を対象とするが、どちらも「無意識」を扱うのである。社会にも無意識があるというのは妙な話だが、公の場に現れず私の領域に押しこめられたものがお地蔵さんみたいに存在しているのである。お地蔵さんを今でもどこかで信仰している人々がいる。だが、それが何の神さまであるか、どんな人が地蔵に何を願うのか、などということは公けには知られておらず「謎」である。

この無意識のものを意識上に引きだそうとする試みは、精神病患者におけるのと同じく頑強な抵抗にあう。何らかの欲望や願望がその裏にあるが、その願望には何か合理社会にはそぐわないものがある。しかし、それが闇から光に引きずり出されないかぎり、目に見えない力として作用し続け、犯罪、暴動、革命などの形で暴発したりする。無意識は意識化されないとならない。フロイト心理学の用語を使っていえば、超自我(伝統的社会規範)の抑圧から潜在思想を引きずり出し、集団的自我(公論)の対象とする。そうすることにより、エス(民衆的願望)が政治化される。これが柳田民俗学の構造である。

この見えない世界の発見がロマン主義によって促されたとして、それに対する関心のは少なくとも二つの方向に発展する契機を孕んでいる。一つは、そうした世界をやはり知性の到達しえないものとして神秘化する方向、もう一つは、そうした見えない世界を可視化し解剖することによって、宇宙の隠された秘密がよりよく説き明かされると考える方向である。後者の立場は、ロマン主義の洗礼を受けながらも近代科学の可能性を放棄しないわけである。

啓蒙の洗礼を受けた者は、ここで後者の道を選ぶはずであるが、実はそうはならない。学者版の陰謀論みたいなものができ上がる素地がある。闇の世界や見えない力を凡人の理解を超えたものとすることによって、知識を独占しようとする誘惑から、知識人や学者も完全には自由ではない。かつての神官階級のような特権を維持するために、前者の方向を無意識にも望んでしまうかもしれない。

社会を動かす不可視の力を認めながらも、その概念を曖昧にせず、分析によって明らかにしていくという作業は、凡人から見るとその逆のものに見える。無用に話をむずかしくして、凡人には手の届かないシロモノをでっち上げているように思われる。陰謀論の方がよほどわかりやすい。しかし、神秘的なもののベールをはぐ作業というのは、なんだかよくわからない曖昧模糊とした対象の正体を言葉によって厳密に規定していくことによってしか達成しえない。それが陰謀論と社会科学を分ける。

フロイトの場合は、明らかに後者の立場に立っている(晩年は進歩が悪を撲滅しうるという考えに悲観的になったが)。柳田の場合はどうであるか。彼の書いたものを言葉どおり受けとれば、柳田も最後まで後者の立場であり、ナチス・ドイツの民俗学のように「未開」「野蛮」を神秘化しようとしたことはない。それは知性によって理解可能な領域であるというのがミンゾクガク(民俗学・民族学)の前提であり、だからミンゾクガクは実証科学でなければならなかった。

つまり、柳田にとって辺境の人生や近代人の深層心理というのは社会に残された闇であって、理性の目によって明るく照らされれねばならなかった。西洋の社会科学がそのまま日本に適用できないのは、日本の文化が特殊であるからではない。都市文化の産物である西洋の社会科学がそうした闇に関して自らを閉じていたからである。つまり、社会科学者の主観の方に覆いがかかっているのである。その覆いが取り払われたとき、はじめて社会科学は真の客観性に近づく。それが柳田の理屈であった。

しかし、理屈ではなく心情においては、ルソー的な「高貴な野蛮人」の発想がなかったとは言えない。それが柳田の追随者においては「日本人のエートス」という少々神秘がかった考えを柳田から引き出すことにもなった。つまり、日本人が表面的にどれほど西洋化し、近代化しても、やはり逃れられない太古からの力、死者たちの声といったものとして捉えられ、それが明治国家の天皇制と結びつけられたとき、国家主義的ナショナリズムに包摂されることにもなりうる。

だから、百年後に柳田を読むぼくらに対しても、柳田に対して投げかけられたような問いが投げかけられる。伝統的な農村共同体がほとんど解体してしまった今日、なぜ柳田などを読むのか。それは何の役に立つのであるか。恐らく、大多数はこう答える。「自分は役に立てようと思って柳田を読むのでない。ただ、柳田の文章を味わっているのだ」。だが、この答えの背後には、恐らく神秘的力、形而上学的力を求めるロマン主義が隠れている。合理性を尊びながらも幼稚な芸術を喜ぶ近代人のもう半面である。

自分はそうした読み方を否定はしないが、それだけでは人文科学や社会科学が個人の趣味としてその公共性を失っていくばかりだと思う。文章は人を喜ばせてもきたが、同時に広い世界に関する理解も深めてきた。文章をどう味わうかということが必ずしも趣味の問題に留まらないということは、むしろ物書きにとっては朗報ではないかと思う。

いつものことだが、最後はだいぶん詰め込んだのでわかりにくい話になった。追々、整理してもっとかみ砕いて書いていくつもりである。

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