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孤独が身に沁みる季節に考えたこと

自分が長いこと住んでいた米国では、正月というのはあまり重要でない。大晦日に小さな祝い事があるけれども、その形式ははっきり定まってないし、明けて元旦になると特に何もすることがない。そうやって二日からはもう普通に働きはじめる。

その代わりクリスマスが正月の代わりをしていて、サンクスギヴィングという11月末のお祭りからクリスマスまでは、文字どおりみんなお祭り気分になる。とれる人はみんな休みをとってしまうから、この時期は大きな仕事は動かなくなる。

そしてクリスマス・イヴには家族友人が集まってクリスマス・ディナーをいただく。苛烈なクリスマス商戦もイヴまでであって、このディナーのために店も5時くらいには閉まったように記憶している。

普段はめったに料理なんかしないアメリカ人も、このディナーのために何日もかけて色々なものを仕込む。そうして数日の間は、この同じ料理がテーブルに乗せられていて、これを冷たいままで食べる。主婦を休ませるためだと思うから、日本のおせちと同じである。年がら年中他に美味しいものが食えるようになって、その有難味が薄れてるのもおせちと似てなくもない。

商売人にとって年中もっとも大きい稼ぎ時なのは日本と変わらないが、アメリカでのクリスマス前の消費はとにかく半端でない。借金してでも買い物をする。コロナ禍の前の話であるが、この期間はショッピング・モールが人で溢れ、平日でも巨大な駐車場に長蛇の車列ができる。

宗教儀式が商機に堕してることを嘆く人も多いのだが、贈り物を買うわけだから、この消費欲も宗教心と無縁ではない。普段はケチなアメリカ人が、この時ばかりは与えることに喜びを見いだす。ディケンズの『クリスマス・キャロル』のじいさんみたいに、クリスマスにまで慈善心を起さない人は、いやな人間の代名詞みたいになるわけである。

日本であると大晦日から元旦にかけてが、このイヴからクリスマスに相当する。今では紅白を見て、除夜の鐘を聞いて寝てしまう人が多くなったが、かつては一晩寝ずに明かすのが本式であったらしい。そうやって神様を迎えたのである。

そうは言っても、クリスマスとちがって、日本の正月はもう特定の宗教とは結びつけられていない。正月様という神様がどういう正体のものであるかが不明になってる。元旦に神社に初詣に行くから神道と関係がありそうであるが、神道家などが語る神様のなかに正月様などというものはない。

だが、クリスマスも元はローマの冬至のお祭であったらしい。聖書の記述から判断するに、馬小屋で御子がお生まれになったのは12月ではない。ローマ帝国で布教する際に、民衆の親しんでいた冬至祭りを取り込んでしまった(もしくはキリスト教の方がローマの民俗に取り込まれた)らしい。

なぜ冬至を祝うかというと、今までだんだんと弱ってきたお日様の力が、この日からまた日増しに強くなってくるからである。まだしばらくは寒い日が続くのであるが、死に向かっていた宇宙が、ふたたび生命を取り戻す方向に転ずるのが冬至である。死と再生というのは、イエスの復活以前から多くの人にとってお馴染みの宗教的テーマであり、キリスト教徒の発明ではなかった。

日本の正月も「迎春」と呼ぶからには、冬至ではなくとも春の到来を祈願する祭であったと思う。旧暦を用いた時代には、西日本ならばもう田植えの準備を始める頃である。この祭の形式を東北にそのまま持っていって、そして明治の世になってグレゴリオ暦を採用したがために、雪に埋もれながら春を迎えるなどということになった。それが故に、正月の意味がやや不明になった。

であるから、もとをただせば、クリスマスも正月もおそらく多くの農業文明に共通の祭である。農業をやるときに暦は必需品なのである。農業を無視した新暦が政治権力によって押しつけられても、日本の農家などは新暦と旧暦の双方のカレンダーを併用しつづけた。それがないと農業にならなかった。いつ祭りをやるかがはっきりしなかった。

ヨーロッパでも、本などまったく読まない農家がアルマニャックという年鑑を毎年購入して備え付けていた、という話をどこかで読んだ記憶がある。そこには公式の暦にはない、今日では迷信と切って捨てられるような情報がたくさん含まれており、それなしでは農民の計画が立たなかった。

暦というのは大宇宙の生命の循環が刻むリズムを目に見えるものにしたものであり、農業はこのリズムに沿って行わなければならない。この宇宙の死と再生のリズムが狂いなく生じるように、ただ祈願をするだけではなく、人が自らこれを助けようとする。すなわち太陽の象徴である王を殺害して、新しい王を迎える。この若い王が大地に光と雨を注ぎ、大地の女神が新しい生命を孕む。そういうイメージで宇宙の生命の再生産が捉えられた。

フレーザーという人の『金枝篇』は、そういうキリスト教以前の信仰にもとづく風習が、キリスト教の皮をかぶってまだ生き続けていることを指摘した。それだけではない。世界中にそれに似た儀式があることも指摘した。南方熊楠から勧められてこの『金枝篇』を読破した柳田国男は、仏教とか当今の神職たちによって横取りされた古い日本の民間信仰を、こうした遺風から掘り出してこようとしたのである。

柳田は、北国の人々が雪の中で春を迎え続けたことを、移民が遠く離れた祖先の地(西日本)に対して抱き続けた望郷の想いと結びつけた。だが、大和朝廷の東北植民事業はおそらく稲作をひとつの武器とした。そして暦はこの稲作とセットであった。朝廷に献上する稲を朝廷が定めたスケジュールで作る。それが大和朝廷に帰属するということであり、また「日本人」になることであった。

どういうわけか、古来より暦は政治権力とつながっている。バビロンでもエジプトでもアステカでも、天文学の独占が政治権力の基盤であった。興味深いことに、古代の天文学が占星術に堕したような今日でも、やっぱり暦は政治権力が決定するもので個人の勝手にならない。

暦が政治権力に独占されるのは、規則正しく繰り返される星の動きと宇宙の生命再生産のリズムが結びつけられたのである。宇宙の秘密を知っており、宗教儀式を通じてその再生産に介入することができる者が、王として祀られる。彼は太陽神かその子であり、宇宙と人間世界の仲介者たりうる。この思想が王をして中央集権的な政治権力の中心たらしめるイデオロギーとなった。王権の発生である(大地を女神とする地母神信仰がその前の母系社会にあると思われるが)。そして王を支える神官階級が、いってみれば今日の知識階級のご先祖である。知と権力はここからしてもう結びついている。

正月を祝うのは暦の上で新年を迎えるからで、別に何の信仰も必要ない。これは日本の文化であって、宗教とはなんの関係もない。そういうふうに考える人が増えた。だが、一生に一度メッカにお参りするイスラム教徒の数くらいの人が、毎年元旦の神社の境内に溢れるわけだから、これが宗教と関係なかったらびっくりである。

日本人が自分の宗教に無意識になったのは、明治以来の宗教政策とも関連がある。不平等条約改正のためには、キリスト教を含む信仰の自由を保証しないとならない。だが同時に、神道を日本の国教として利用したい。その矛盾を覆い隠すために、神社崇拝は宗教ではない強弁しつづけた。宗教とはキリスト教とか仏教とかの教義を信じることであると思う人が多くなって、神社参詣を宗教心の表れとは考えなかった。政治が宗教を取り込んだのである(その反面、政教分離が曖昧になって、戦時期におけるように、宗教に政治が乗っ取られる可能性も高まった)。

一人寂しく暮らす者にとっては、クリスマスも正月も普段の孤独の味を引き立てる消極的な薬味くらいの役割しか果たさない。与えたい気持ちがあっても、与える人がいない。そういう独り者の数が増えるのが近代の都市文明であり、マツリというものがともすると減退する消費意欲を刺激する年中行事の代名詞になってしまったのも致し方ない。

しかし、マツリというのは元来、生活を共にし協働する者たちの共同の行事であり、且つ、その生活のための素材をもたらす生産的な大地(地球)と人間との間の絆を再確認する機会でもあった。人間は人間のなかに生まれ育ち、また大地から生まれ大地に戻っていく存在である。近代人の疎外とはこの人間と自然からの疎外である。そう喝破したのがマルクスであった。この唯物論の露悪家にでさえ、人間もまた宇宙の生命の流れの一部である、というなんだかロマン主義的な感覚が残っていた。

クリスマスや正月に参加するよりも傍で見ているだけになった者は悲哀を感じざるを得ないのだが、このような観察が外からできるようになったのもこの疎外のおかげである。何かが失われることは悲しいが、その代わりに何がが得られるかもしれない。もしくは、何かを得ることは何かを失うことかもしれない。

マツリぼっちもそういう意味では、ただ社会から脱落した者の悲哀には終わらないかもしれない。まずは因習にとらわれつづけてる者を笑ってやりたい気持ちになるかもしれないが、他方でそういう人々に恋する自分がいることも否めない。自分を仲間に入れてくれない人びとに愛されたいという気持がある。以前も書いたが、トーマス・マンや柳田に見られるようなエロス的イロニー、自分には決して向けられない愛に対する愛である。せっかくの正月にこんな気長な文章を読んだり書いたりする意義なども、そういうところにあるのでないかと思う。

コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。