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わけもなく泣くという経験

年をとると妙に涙もろくなる。お涙ちょうだいのドラマを見ても泣けるけど、本来泣くことを期待されていないような場面でも、ちょっと涙腺が刺激されたりする。子がすくすく育ってるのを見たり、真っ青に晴れた秋空の下に立っているだけで、何となく泣けてくる。だが、なぜなのか自分でもよくわからない。

ええ歳して泣いた経験で今でも覚えているのは、2009年に新聞で見たフィリピン人一家の離別の写真。以前にも少し話をしたが、不法滞在が発覚した親が国外退去処分を受ける前に「自主」退去することになった。それでも大岡裁きで高校生の子どもは滞在が許可された。そうして去る両親と残る子が空港でお別れしていたのである。自分はこの写真を新聞で見て泣いてしまった。

頭の中では、不法滞在が問われているのであって、単なる人情論で済む問題ではないことは理解している。でも、一人娘を持つ親として、あの写真を見て、何となく割り切れない気持ちがするのを抑えることもできなかった。

主観よりエライ客観

今日の常識だとこれは個人の主観であり、公の問題において人様を説得する根拠にはならないとされている。あの写真に「無理矢理離散させられる可哀想な親子」を見るのは個人の勝手だけど、「法を破った親とその違法な状態の中で生まれた子」、「本来、日本にはいるべきではない存在」というのがより客観的な(=個々人の好みとか価値観とは独立した)見方であるというのである。

でも、なぜ後者の見方が客観的だと言えるのか。

模範解答においては、それは法律というものが存在するからだということになっている。法律というのは、個人の意志では好き勝手にならないし、好き勝手にさせてしまったら法律として成り立たない。みんなが所与のものとして法律を守ることによってしか法の前の平等とか法治主義は保てない。「私」が彼らを退去処分にしたいのではなくて、法治国家を守るために彼らは退去処分にさせられないとならないのだ、ということである。

でも、そもそも「法律」というのは客観的な基準に基づいたものなのか? 「法」と名のつくものがすべて無批判に受け入れられてしまっては、ヒトラー総統や「北」の将軍様の意志で作られたような法まで遵守しなくてはならなくなる。法が単なる「強者による命令」以上のものであるためには、「法」というラベル以上の根拠が必要だ。

この問いに対する模範解答は、日本の法律は民主的な手続きに則って制定されており、国民の総意に基づく、というものだろう。この説によれば、法律に反対する人も、それが所定の手続きによって改正されるまでは遵守すべきなのである。

でも、事実として民主的手続きに則り成立した法律が存在するということ自体は、その法律が客観的な根拠を持つという結論には結びつかないし、この法律はおかしいんじゃないかという議論を封じ込める理由にもならない。

ある法律の正当性を疑問視して民主的にもう一度見直そうという提案を、「法治国家」を理解していないとか「居直り強盗」的だと呼ぶことこそが、「法」の意味を理解していない的外れな批判であるとも言える。

「日本」は客観的存在か

通常、個人の感情は主観的であると思われている。「客観的」な立場というのは、個人としての好みや利害を度外視したものでなければならない。そう信じている。この「自己否定としての客観性」の延長線として、公共の利益を私益に優先させるいろいろな道徳論、そして(擬似)科学理論が出てくる。

私欲追求と公共の利益の調和を唱える自由主義経済学(「皆が自分の利益だけ追求していれば、全体の利益も最大になる」)でさえ、公共の利益が優先される。例えば、社会に貢献するより受け取る方が多い個人を排除することにより社会全体のパイが大きくなる(=公共の利益になる)場合に、経済学は個人を犠牲にすることを原理的には否定できない。

でも、じゃあ、この公共の利益というのは一体誰の利益なのだということになる。

そこには「社会」、「国家」、「国民」なんていろいろな模範解答があるのだが、それは「公共の利益は誰の利益?」という問いを「社会、国家、国民とは誰のこと?」という別の問いに置き換えるだけにすぎない。

そして、社会、国家、国民のメンバーシップという問いに客観的な答えを与えることは難しい。模範解答の一つは、「国民」、すなわち「ある国家に属し、その国籍を有している人」というもの。

でも、今日国籍を保有している人たちは、そもそもなぜそれを保有することになったのか。日本の場合だと血統主義なので、これは日本国籍を持つ親に生まれたから、ということになる。しかし、それでは、その親はなぜ国籍を持っていたのか?

この質問を繰り返していくと、結局ある時点で、日本国籍を持てる人と持てない人を何らかの基準で決めたわけである。その基準は何か?

歴史を辿ってみると、それは19世紀末に成立した旧国籍法の時点で、大日本帝国の領土内に住んでいた住民に一律に与えられたらしい。その中には、アイヌや沖縄や小笠原諸島に住んでいたポリネシア系、ドイツ系、アメリカ系の住民なども含まれる。つまり、いわゆる「大和民族」には属さない人も「日本人」とされた。

なぜこんなどんぶり勘定な決定になったのかは調査してみたけど、よくわからない。旧国籍法が成立した頃は、維新後の無批判な西洋化の反動期であるいわゆる「日本回帰」の時代で、「日本/日本人」とは何かという問いが声高に問われていたことを考えると、ちょっと中途半端だ。

「日本人とは日本の政府が国籍を与えた者であり、日本というのは日本国籍保有者により構成される国である」というのは「鶏がいるから卵があって、卵があるから鶏がいる」と言っているようなもんで、国粋主義者を満足させられるような答えではない。

だが、理由は想像がつく。主権国家のメンバーシップ(国籍)を決める客観的な基準など存在しないから、その場でアドホックな決定をせざるを得ないのである。

国家というのは、事実として実効支配している領土に住む住民に国籍を与える(もしくは、住民に国籍を与えることによりその人たちが住んでいる土地を領土にする)のだが、実際は領土の境界線はころころ変わるし、人も国境を越えて移動しつづける。なぜその時点での国境を客観的とできるのか説明できない。

他方で、国家の領土ではなく、共通の文化とか民族性を国籍の要件にするナショナリズムにおいても、文化や民族の境界線を決める客観的な基準を欠く。文化や民族の中身や境界も、また刻々と変わっている。

現在の「日本人」というのはこんな偶然と恣意の産物なのであり、国法はこのメンバーシップの偶然性、恣意性に汚染されている。

「不法入国者に滞在許可を与えることは犯罪を許すことだ」という一見客観的な主張は、突き詰めると「オレたちはお前を入れたくない。なぜなら、入れたくないからだし、今のオレたちはその意志をお前に強制する力があるからだ」という主張と大差がないということになる。こちらも負けずに居直り強盗なわけである。自分たちがどうして日本人になれたのかという問いに答えずして、現在の国籍の分布は客観的な根拠を持つとは言えないのである。

「日本」などという客観的に見える存在も、突き詰めていくと誰かの恣意的な意志に行きつく。そうして客観性は蒸発してしまう。所与の自然ではなく人間の手で作られた歴史的現実には、そんなことがたくさんある。

でも、個人の主観ですべての法律を見直していたら、社会のルールなんてなりたたないじゃん、という批判もできる。特に、客観的な規範なんてものの可能性が否定されがち(「ひとそれぞれの価値観だよ」)な今日では、下手に現状に手を加えようとすると収拾のつかなくなってしまう恐れがある。

ここで、ようやく日記の主題である「ええ歳して泣くこと」の意味に戻ってくる。

経験と共感力

例に挙げたのがたまたま国籍であったので政治の話になってしまった。だが、今回は泣く経験というものを批判してみようというのである。

自分があの親子の写真を見て泣いたのは、なにもこんな理屈が念頭にあったからじゃない。それは後知恵であって、ただ写真を見て直観的に何かがおかしいと感じたのである。それに理屈をつけようと思ったら面倒な話になったわけであるが、泣いた時点ではそんなことを考えたわけじゃない。

人が泣いたり怒ったり笑ったりするときは、たいがいそうである。理屈が最初にあって感情が動くのではない。何かを直観的に把握してる。なぜ泣くのか、なぜ怒るのかと問われて初めて、理由を考える。もし泣くことがなければ、こんな理屈を考えることさえしなかっただろう。

私が涙もろくなったのは、歳とって弱気になったからとばかり言えない面がある。歳をとった分「経験」も増えたから、若いときには理解もできなかったような他人の経験を自分のことのように感得できるようになったからだと思う。

でも、こんなことを言うと、ホントにお前は他人の気持ちがわかるのか、お前が勝手にわかった気になって喜んでいるだけじゃないか、って言われそうだ。

でも、私が「経験」を括弧付けにしたのは意味がある。誰でも生きていれば経験は増えていく。でも、経験というのは人それぞれだから、経験を積んだからといって他人の感じていることなんかわかるわけがないとも言える。

しかし、今まで何度か紹介してきた、言葉になる前の普遍的な「経験」(西田幾多郎が「純粋経験」と呼ぶもの)があるとすれば、どうであろう(以下リンク参照)。

実は、後知恵ではあるが、私が涙もろくなる頃、いろいろな変化が私の生活に起きている。ひとつは、子どもを持ったこととか、仕事を辞めたこと、あまり仲の良くなかった父を亡くしたことなどの直接的な経験である。

でも、これらの直接的経験と連動して、木っ端役人そして社会科学を学ぶものとして科学とか理論の客観性を信じていた私が、それを疑いはじめた。そして、社会科学や政治理論の本や論文だけじゃなくて、自伝、手記、小説、詩なんてものも読みはじめた。

歴史の本は以前から好きだったのだけど、昔は理論をテストする「データ」の集まりとして読んでいたものが、今ではもっと素直に複雑で直線的ではない「物語」として読めるようになった。

それだけじゃなくて、子どもと付き合っているうちに、絵本や児童書にも触れることができた。そして、これらの経験を通じて、頭でっかちな社会科学理論や権利義務論的な正義論ではつかみきれない経験がたくさんあることを知ったのである。そして、そういう経験を把握するための直観というものを見直した。

直観と言うのは哲学用語でカント先生には叱られるだろうが、自分が言う意味では文学的、詩的な理解の仕方と言いかえてもよい。理詰めではなく感情なども動員して、まだ言葉にならないものを全体的に捉えるのである。

本を読むというのは言葉を通じた経験なので、厳密には西田のいう「純粋経験」ではない。でも、現実の経験というものが理論によって説明されるほど明瞭なものではないということを感じとり、そうした「経験」に対する感受性が高まったのだと思う。それで本の読み方も変わった。

そして、西田によれば、頭で作られた理屈よりこうした「経験」の方が客観的、いや主客を越えた実在なのである。つまり、フィリピン人家族の別れの写真を見て泣きそうになる直観的経験の方が、法治国家とか権利義務という概念の論理的体系だけで考える思考よりリアルな存在なのかもしれないのである。

更に、西田にとって、「善」というのは、こうした経験を阻害せずに人間性を高めていくことである。西田が賛同するかどうかはわからんが、ええ歳こいて泣くことを恥ずかしいとして理屈でこれを抑え込むのではなく、この経験を出発点にして理屈で作られた世界を見直していくことこそが「善」であるとも言える。

実際に、西田の弟子である京都学派の人々は、後に無の思想を用いて国家主権を相対化しようとする。これが大東亜共栄圏という一種の帝国秩序の正当化として行われてしまったので、終戦後に哲学者が不用意に政治にかかわって火傷した例ということで片づけられた。しかし、今日で呼ばれるところの「覇権」とか「ソフトパワー」に通ずる考えでもあって、「戦争協力」の一言で片づけてしまえない部分を含む。EUとか米帝国主義とか現状のリアリスト的国際秩序に代わる構想に近いものが見出せる。戦後の後知恵では惨めな失敗だと思われたものが、今日振り返ると別の後知恵も得られそうなのである。

「オレは何も感じない」という人に

これに対して、オレはフィリピン人家族の別れの場面を見て何も感じなかったから、それが人類普遍の経験とは言えないじゃん、やっぱり人それぞれだ、主観だ、という人もいるだろう。でも、話はそう簡単ではない。

前にも書いた通り、われわれの経験は言葉によってすでに汚染されている。フィリピン人家族の別離を見て泣くことさえ、すでに「外国人」とか「家族」といった言葉に引きずられているから、厳密いえば純粋経験とは言えないかもしれない。

我々は五感で感じえないもの(例えば、「日本」という国は見えないし、聞こえないし、においもないし、味もしないし、触れない)が実在すると思うのは、それが言葉で与えられているからである。私自身も、最近まではずっと「日本」が実在だと思っていたし、今でもそれを実在しないという前提で話を進めることが難しいことを痛感している。

こうした言葉によって限定されてしまった経験の下から言葉以前の「経験」を掘り起こすには、我々自身が自分を突き放して見つめ直さなければならない。そして、それは単なる自己否定ではなくて、言葉にならないような経験をより多く吸収していくことによってしか成し得ないように思われる。

そういう努力を意識してしなければ、人は自分の都合の悪いことにはいくらでも鈍感になれる。これも人が生きるための能力の一つであって、一概に悪いとは言えないが、鈍感なほど、感受性が低いほどより客観的という話にはならない。

そうすると、客観的(というより普遍的)なものを求める人は、むしろ人の体験談を聞き、文学に親しみ、絵画や彫刻などを鑑賞し、音楽に耳を傾け、宗教的告白に注意を払うべきと言えないか。紋切り型ではない表現にこそ、言葉になり切らない経験への手掛かりが満ちていると言えないだろうか。

ここに文字の文化の両義性も見出される。理想を言えば、一人一人が個人的に直接経験することを増やしていければよい。だけど、限られた人生で実験できることは、世界の多様性に比して惨めなほど小さい。だから、文字などの媒体を通じて他人の経験にも与るしかない。そうして個人は普遍的かつ具体的な存在としての「人間」に一歩か二歩だけ近づく。使い方次第では文字によって経験が縛られ貧しくもなるが、同時に文字によって自分の貧弱な経験を補完することもできる。文明や文化というものが文字と結びつくのは、この限りではないか。

公の場で議論する人たちは、自分が客観的であることを示したくて、どこかで聞きかじった既存の理論とかイデオロギーを振り回す傾向がある。データとかエビデンスなんて言っても、最初からその理論やイデオロギーを確認するために揃えるに過ぎない。でも、かえってそうした理論とかイデオロギーこそが主観的なのであり、そんな言葉上の構築物の下に押し込められた直観的な経験こそがリアルなものかもしれない。

そこには、既存の「善悪」とか「公共の利益」とか「愛」なんていう言葉では言い尽くせない豊かな経験が見いだせるはずなのだし、それはすべての人ではないかもしれないが、少なくとも怪しげなイデオロギーや理論よりは多くの人の共感を呼ぶものかもしれない。

正直なところ、自分は西田の言う「純粋経験」なんてものがあるかどうか疑っている(西田自身も後にはこの言葉を使わなくなっている)。歴史を通じて不変の経験なんてものが考えられるのか疑わしいと思っている。だけど、ある時代に生きる人たちの間に広く共有されておりながら、意識化、言語化されない経験というものがあると思っている。西田の弟子である三木清は、西田哲学とマルクス主義を綜合して、これを「基礎経験」と呼んだ。柳田国男の仕事なんかも、そうした基礎経験を掘り起こす作業であったと思ってる。

追記

かなり前に書いた記事で、今読むと恥ずかしい。大幅に書き直したんだが、留保なしには自分でも承認しにくい部分が多い。そもそも、自分は西田のいう「純粋経験」というものがよくわかってなかった。

それでもここに公表したのは、これを「純粋経験」と呼ぶかどうかは別として、言葉以前の「経験」があるということだけは確かであって、今日の教育はこの経験をむしろ言葉で貧しくしがちではないか、という懸念があるからである。もう一度考えて見たい問題だからである。

この懸念は新しいものではない。思想史でも、西田が『善の研究』で純粋経験を語った明治末期・大正時代、「経験」とか「実験」という言葉があちこちに飛び交っていた。同時期の柳田国男の民俗学の方法論も「実験」の重要性を強調している。いわゆる経験論科学における「経験」「実験」と重なりながら、少し意味がずれてる。どうやら、理屈っぽい連中が増えるのと比例して言葉に対する不信が高まり、言語化されていない経験というものが見直されたらしいのである。今日においても似たような状況があるんではないかと思う。

専門的な話になって恐縮だが、大正時代の「経験」流行りには、自分が調べた限りではディルタイの影響などがあって、いわゆる生の哲学が関係していそうである。明治末期から大正期にかけての「経験」への関心についてはもっと調べるべきことがあるように思うんだが、手をつけかねてる。よい図書館にアクセスのある誰かにやってもらえればありがたいとも思ってる。

コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。