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白黒ではないグレーに着地する

先日、人間関係でちょっとした出来事がありました。

私の始めたことをきっかけに、とある知人を含め、周りの人間数人を巻き込んだ話し合いが行われたとのこと。

結果を言ってしまうと、最終的にはみんながお互いの事を良く考えて問題なく円満解決したのですが、ここに着地するまでの数日間は頭をフル回転。

少し繊細な人間関係を孕む事だと理解していたので、とにかく不義理のないよう十分に配慮し始めた事でしたが、人の心はそう簡単にはいきません。
不安な気持ちを正直にぶつけられ私も結構傷付きましたが、ただただ聞くことに徹しました。

話をしたあと、自分の行動は何が問題だったのか。不義理があっただろうか。とぐるぐると頭を悩ませ、周りに客観的な意見を求めるも、やはり大きな問題はなかっただろう。と言う答えにたどり着きました。

でも、ここで自分の意見を押し通して気持ち良く解決する事が出来るのかと言うと、答えは明らかにNO。
なぜならお相手の気持ちも少し理解できたから。

このままその人の気持ちを置いてけぼりにして、
「自分には問題がないからこのままやる。」
と白黒はっきりさせることで、自分は満足するのだろうか。。

正論を言って相手を言い負かすことも出来たでしょうが、そんな事をすれば、せっかく築いた人間関係も微妙な事になります。

あまりにも心を悩ます様なら、いっそこのまま手を引いてしまったら楽だったでしょうが、そうしたらそうしたで、相手も後ろめたい気持ちになるでしょう。

気持ちの整理に時間は掛かりましたが、結局、自分なりに考えた提案でお互いに譲歩する形になり、このまま話を進める事になりました。

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何か揉め事が起きる時。
人と言い合いになるとき。
私の場合は夫と喧嘩をするとき。(苦笑)

中々解決できない事の理由は、相手の気持ちや立場、それから言っている事をちゃんと理解していない、しようとしない事で起きるようです。

自分は間違ってないと意地を張れば長引くし、煩わしいと話し合う事すら放棄すれば楽だけれど、結局同じ思いを抱えて解決にはならない。

相手への想像力を膨らませて、お互いに歩み寄り磨り合わせる作業で、なんとかお互い良い答えに着地させる。

はっきりとした正解がないだけに苦しい作業だけれど、社会に出ると、納得のいかない事を何とかグレーに持って行かなければいけない場面がたくさん出て来ます。

元々白黒はっきりさせる事が多かった自分にとっては、その度に心を擦り減らすし、いつもうまく行くわけではないけれど、この経験で確実に前よりも強くなった、いい経験をした。と思えるようになったのも、年を重ねたからかな。

そう考えると、大人になるのも悪くないなぁと思います。

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今回の出来事も最終的には、
お互いに「ごめんね。これからも仲良くしましょう。えへへ(照笑)」で解決しました。

いい人だと信じてはいたけれど、数日間の心配事が、周りの人たちの温かい助けもあり丸くおさまり本当にホッとしました。

逆に今までよりも分かり合えたような気がしています。


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