逃げなかった記憶が、欲しかった
先日、一つ区切りを迎えた。
看護師と保健師の国家試験を受けたことである。
卒業後、これらの資格を使わない私が、なぜ受験したのかを問われたらきっとこう答える。
「逃げなかった記憶が、ほしかったから」
って。
ちょっと、お暇な方がいたら、その理由を聞いてくれませんか。
もう何度も書いてるから聞き飽きてると思うのですが、ずっと医療者になることに憧れてきた私です。人が病んでいる時を癒して、人生の落ち込みをぐっと支える役割が、天職だって思ってて。ほんと10年くらい、しっかり憧れてました。
ただ、在学中に、さまざまな転機を経て、看護だけが世界じゃないと言うことを知って、いろんな「支える」とか「寄り添う」とかを知りたいと思ったの。
知りたい、の気持ちが募った自分は
医療空間を心地よくしたいとか
病院に来る手前にいる人にアプローチしたいとかその時々で関心は移り変わっていったんね。
だけど、根幹にあるのはいつだって「見えない声」を聞く存在でありたいという頑固な気持ち。
誰にだって、己の地獄と戦ってて、泣きたくても笑顔でいる日があるってことを、ずっと想像してた。私もそうだったし、この地獄を知られてたまるものか、と天邪鬼さも相まって、自分を青く青く塗りたくるようなことに快感を覚えていた時期もありました。
そんな経験もあって、ああ、いつか、誰かの地獄すらも少し触れられるような、すぅっと救い取れるような、そのための仕事がしたい、と。思うようになってた。そんな人に自分も出会いたかったんだろうな。
そうなったらもう、医療とかの話じゃなくなってて。看護師になるとか、病院にいるとか、そういうのじゃなくなってて。
あれ、なんで私ここにいるんだっけ?って何度も何度も考えて、不眠になりました。お陰で夜の素敵さも知ることができました。悪夢のバラエティも豊富になった。
4年生になって、国家試験を意識するようになって。あのアホみたいに分厚い参考書を、買いました。なんのために勉強するのか、すっごく考えた。
だって、私なりの理由が必要だったから。理由がないと、頑張れないくらいには、弱い人間だったのです。
当時、先輩から3月のライオンという漫画を借りていていたのだけど、そこに答えがありました。
主人公はプロ棋士の高校生なんだけど、プロ棋士をしながら高校にも通う選択をしているのね。なぜ、両立をしているのか?という質問に対して、主人公はこう答えるのです。「逃げなかったっていう記憶が欲しかったんだと思う」
その言葉が、頭から離れなくて。もしかして、私もそうなのかも、って都合よくパクりました。
逃げなかった、やり遂げた、私は医療を学んだ、って記憶のために走ろうって。
きっと、これから私が何かに夢中になった時も、この記憶のおかげで頑張れたり、諦めそうになっても踏ん張れたりすると思う。
そんな理由を無理やりつけて、血眼で勉強するようになったのだった。
毎日、手帳に出来たこと、出来なかったことを書いて、どんなに最低な日でも、最後は「愛してるよ自分」って書いて閉じてた。
そういう記憶すらも、私の中で大切なものになっている気がしてる。
ただ、ここまで書いて思うのは、逃げないってことが正しいとは全く思わないってことだ。
逃げるでも、選択したってことが強いし、
私だって、何度も何度も、逃げるをしてきたし。
戦うか逃げるかの2択なんて、生き延びるための本能だし。
どっちでもいいから、私が生きることが大事なんだ。君が生きることが大事なんだって。
そんなことを思いながら、ちょっと思い出してみました。
一つ区切れて、肩の荷物がなくなって、自由なんだけど、また一から作っていくんだよ。最高にパンクだよね。
ここまで読んでくれた皆様ありがとう。
逃げなかった記憶、ボケてしまってもこれだけは覚えておきたい。
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