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いい匂いがするから、西へ来ただけ

大阪に来てもう5ヶ月がたつ。
この約150日、かけがえのない時間を積み重ねたり、一人雑な時間を過ごしたり、いくつもの側面を持ちながら、私の視点で世界を切り取ってきた。
そして今、その切り取りをつなぎ合わせて本を書いている。

本を書くために、頭の中の言葉を整理したくて、ここでも引き続き、文章を書いていきたい。今日のテーマは「いい匂い」である。


ここ数ヶ月、初めましての方とも言葉を交わすことが多かった。
決まって「なぜ大阪?」という質問に、やや勇気を出して「いい匂いがしたんです」と答えた。

東北の街に長くいた人生、なんとなく「ここじゃない」感はずっとあった。
それは、現状に満足いってないからとか、寒いからとか、もう飽きたとか、いろんな理由が考えられたけど、一番の理由は「別の場所」を知ってしまったからだと思う。

数年前、西の街によく行っていた。
自分のことを誰も知らない街で一人歩く。
その旅に目的はあったが、そこにたどり着くまでの過程は自由だった。その街を眺め、空気を吸い込むと、その街の色やリズム、匂いや湿度が「いい匂いかどうか」を知ることができる。
まるで私の体を染め上げてしまいそうな深い青の瀬戸内海を眺めたときの高揚感(香川)、おっちゃんたちが昼からジョッキを握って鰹を頬張る様子を見たときの衝撃(高知)、導かれるようにギャラリーに赴いたときの巡り合わせ(岡山)、ずっと行きたかった画廊に向かう途中、異世界に繋がってそうな細道に心を奪われた(大阪)

いくつもの西の街に出会い、「快」「なんかいい」「なんか違う」「不快」の感情に分けて見てきた。
当然、街には、快・不快、どの要素もある。
大事なのは、頭で考えるのではなく、腹の下らへんと心で見た時に「ここで住む自分がどんな顔をしているか」を想像すること。

笑っているのか、俯いて歩いているのか、少しでもイメージできたものを信じる。
私の場合、「変化があり続ける中で、小さな幸せを大事に、強く生きている自分」がイメージできたのが大阪だった。

ただ、それだけだった。それが、「いい匂いがする」ということ。


ただ、匂いというものは変わるもので。
また別の街へ行きたくなる自分を許している。


好きなキャラクターの一人、スナフキンはこう言っていた
大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ」

自分のしたいこと、そんな大きなカテゴリでなくていいから
自分の行きたい場所から、正直になり続けたいと思う。

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