指一本、生一本。
旅先は栃木県栃木市。たった1軒の建物を見るために、はるばるここまでやって来た。
外観は洋風、でも引き戸。お多福窓に、アーチ窓。次はいつ、このモダンな建物を見られるのだろう。昭和初期の建築物に、"次"はもうないかもしれない。そう思うと、シャッターを切る人さし指に自然と力が入った。
「興味があるの?」
振り返ると、淡色のカーディガンを羽織ったご婦人がひとり。彼女の視線は、くだんの建物に向けられている。わたしは「はい」とだけ返して、撮影にもどった。
ごめんなさい、今はこの建物に夢中なんです。雑談する時間が惜しいんです。少しでも長く、この建物を見ていたいから。
「よろしければ、入る?」
え、と耳を疑った。
「ずいぶんと熱心だから。さ、どうぞ」
がら、となつかしい音をたてながら引き戸が開く。ご婦人は、この家の主だったのだ。
ぴくり、と人さし指がかすかに震える。
どうしよう、地に足がつかない。
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