親を見送った
noteを書くのは本当に久しぶりです。
先月末におかんが他界し、その前後のドタバタが落ち着いたのが今から1週間前。
気がつけば、6月も終盤にさしかかろうとしています。
noteから離れていた間も、手書きで絶えず何かをしたためていました。
おかんの死の前後の出来事は、葬儀が終わってから、息急き切ったように書き殴りました。
特におかんが死んだ翌日は、考える事や決める事が多く、混乱を極めて記憶も曖昧で、自分ひとりでは整理する事ができなかったので、妹と記憶のすり合わせを行いました。
なんでわざわざ書き留める必要があるんだろう。。
多分こうした行為自体に大した意味はなく、単に思考の排出を行なっていたのだと思います。
なんせ日常ではあり得ないような、怒涛の日々だったので。
最後まで苦しみ抜いて死んでいったおとんとは違って、おかんはゆっくり時間をかけて、穏やかに息を引き取りました。
その為か、おとんの時のように後から無力感や虚しさに襲われることはありませんでした。
おかんの死はごく自然と私の中に収まり、それと同時におとんの死に関しても、ようやく気持ちが落ち着いたような気がしています。
本当にすとんと丸く収まった感覚なので、おかんがおとんを連れていってくれたんじゃなかろうかと、そんな気さえするのです。
でもおとんはそもそも人の言う事を聞くような人間ではないので、そんなことはなかろうと思いますσ(^_^;)
生活が落ち着いてくると、私も少しずつ次のステップに踏みだせるようになりました。
会社を辞めて10ヶ月が過ぎましたが、今ようやくバイト探しなども始めています。
まぁ、まだ週に2、3日程度と及び腰ですが、やれそうなことから少しずつやっていこうと思います。
今の自分の心境に至るまで、随分と時間がかかってしまいました。これだけゆっくり時間をかけさせてくれた家族には感謝です。
はたして今の自分に、社会に揉まれるだけの耐性があるんだろうかと思わなくもないのですが、まぁ何とかなるような気がしています。
☆おまけ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?