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感情を超える涙 PCT-5

涙には理由があると思っていた。

悲しい時、嬉しい時、寂しい、怒り、なんでもいい。
涙が出る時は、何かしらの感情が涙の後ろにあると思っていた。
そうではない涙を一度だけ流したことがある。
その日の話をすることにする。

その瞬間のことは、目を瞑らなくても鮮明に思いだせる。
7月。標高は4000mに近い場所、数日かけて歩いてきた。
時刻は12時を少し回ったころだった。
早く日本のカツ丼を食べたいなぁなんて考えていた。
風の音と自分の呼吸の音、砂を踏む音以外には何も聞こえない。
周りには誰もいない。

砂混じりのトレイルは滑りやすくて、転ばないように下を向いて歩いていた。
歩く度に規則正しく鳴る音は、とてもとても心地がよかった。

ふと周りの景色を見渡した。
淀みのない眩しい青い空、
壁のように連なる巨大な岩石。

歩くことをやめ、立ち止まって
その景色を眺めていたら
涙が流れた。

こぼれ落ちた、というには頼りなく
だけど、汚れた顔の頬に確実に、静かに線を引いた。

なぜ、涙を流したのかわからなかった。
涙を止めることもできなかった。
美しい景色に感動したと言えばそうなのかもしれない。
だけど、あの時は全ての感情を超えて、
涙がただ流れた、という方が正しいと思う。

そういうこともあるんだと、素直に受け入れることにした。
あの時の感情に名前をつけることはできない。
感動とか、美しいとか、壮大とか、
言葉で表せない何かをあの瞬間に感じ取ったのだと思う。
そのわけのわからないけど、揺さぶってくる何かを、
言葉で表す代わりに、涙が出たと思えば、少しだけ納得できる。

涙は時に感情を持たずに流れる。
もう二度と体験できないかもしれないあの瞬間。

少しだけ、冷たい風が吹いていた。


この文章は、pacific crest trailをハイキング中に筆者が感じたことを綴っているもので、日時や場所、環境の表現などの正確性にこだわったものではありません。あのよくわからない日々の中で起こったことを、今や、朧げになりつつある記憶を辿りにできる限り鮮明に記録に残していく。鮮度の落ちてしまった記憶に、今思う気持ちを繋げていく、ノンフィクションのようで、ある意味ではフィクションなのかもしれないなと思う。

こちらのマガジンに、他のエピソードもまとめています。



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