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学校プール 注水ミス 教員の責任?

これまでも何度も起こっている学校のプールに注水していて、そのことを忘れてオーバーフローさせて侵害賠償を求められる事案がくり返されていると2024年9月15日の朝日新聞朝刊が告げている。

忙しさの中で忘れる例が多いとのことだ。給水自動中止弁がついていない古いプールで起こりやすいとのこと。

予算の都合で給水自動中止弁が付けられないのだそうだが、その管理を教員がすること自体がおかしいと思う。だって、給水自動中止弁がついていれば起こらないのだから。

要するに、本来、教員の仕事なのって思ってしまう。まあ、教材や教具の準備と同じという事なのだと思うけど。

夏期に3ヶ月ほどしか使わない施設のために、330万円もかかる給水自動中止弁は付けられないのだろう。

でも、教員のヒューマンエラーが原因として済ましてしまうのは、絶対違う。

今年も、最高は290万円の損害があったようだから、それ考えたら給水自動中止弁を何としても付けた方が良いかもって考えないのかね。

しかも文科省は、「教師が損害賠償の責めを負う恐れのある中で勤務する状況は望ましくない」との通知を全国の教育委員会通知しているという。

まあ、いつものことで言いっぱなしで何の具体的な提案もせず、「各教育委員会で何とかしてね、通知出した以上は文科の責任では無いよと」というのが透けて見えるいつもの手段でいけ好かないが、出しているんです通知。

プールの老朽化も激しく、対費用効果の観点から作り替えるのも難しく放置されていくことも増えるはずで、民間のスイミングスクールへの委託の方向は理に適ってるとも思う。
でも、そもそも水泳の授業って要りますか?

現在は、しっかりと指導要領で小中高と定められてるから実施せざるを得ないでしょうが、本当に必要な事でしょうか?

『水泳授業の目的は、身体能力の向上や水中での安全性の知識を身につけることにあります。また、水難事故を防ぐための論理的思考力を育むことも重要です。』

身体能力の向上は水泳で無くても出来るし、「水中での安全性の知識を身につける」と言うけど日常的に水中にいるわけでも無い、「水難事故を防ぐための論理的思考力を育む」と言うけど、着衣での水泳の授業って殆ど無くて、やれクロールだ、平泳ぎだ、バタフライだと競技スポーツをなぞっているだけ。

元々、船の沈没で多くの学生の命が奪われた事に起因して水泳の授業が始まったみたいだけど、北海道知床半島沖で沈没した観光船カズ1(KAZU I)でも分かるように海の条件によっては何の役にも立たなくなってしまうし、そもそも運行する側の安全認識の欠如が招いたこと。それを、各個人が泳げることと収斂してしまうのは違う。

高校生になると、プールの授業を見学する大量の女子生徒が出てしまい、その補習に追われまくる。そして、補習をこなさないと単位を出さないと脅迫し、結構寒くなっても、嬉々として泳がせる体育教員も多いような気がする。

ご存じのように、先進国の中で水泳の授業があるのは、ほぼ日本のみ。確かに、日本人の泳げるパーセンテージは高いようだ。

何を隠そう私も、泳げないわけでは無い。水泳の授業の賜物なのであろう。

でも、プールの授業は大っ嫌いだった。何故って、潜るのも苦手、とにかく冷たい水が顔にかかるとヒイッて息を吸ってしまい往生したものだ。

これ未だに変わってません、足の届かない所なんて絶対行かないし、入れるのは温まった浅いところが多い海水浴場と温水プールだ。

じゃあ、水に入るのが嫌いなのかというとそうでは無くて、泳ぎたくは無いけど水には浸かっていたいという状況。これ。分かってくれる方いるだろうか?

最近は、ライフジャケットを装着してプカプカ浮遊するのを楽しんでいる。

授業までして、泳げる子と泳げない子に分けて、泳げないと恥ずかしいみたいなレッテルを貼りまくる必要は無いのでは。

こういった事を書くと必ず泳げないより泳げた方が良いでしょって人が現れる。

でも、法律の知識あるのと無いとではあった方が良いでしょって言う人もいるでしょうが、じゃああなたは法曹関係者なんですかって事ですよね。

何を得て何を得ないかは、本来個々人に任されているものであり、こうであると決めつけて強制するがごとしを好まない。

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