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野球と教育の交差点に立つ球児

 高校野球真っ最中、これから書くことは、多くの人にとって不快かも知れません。ですから、覚悟を決めて読み進めてください。

 球児とは、野球に全力を傾けてはげんでいる青少年らしい。今回書くのは、無論高校球児についてです。
 そもそも球児と言う言葉には、『野球』と言う概念が含まれており、他のボールを使った競技をする者のは使わていません。

 まあ、それほど日本ではメジャーな球技であったことは間違いない事実だし、現在ではその人気は衰えつつるといえグランドで一生懸命ボールを追う姿は決して嫌いではありません。私自身も短期間とは言え小学生の時に野球を短期間ではありますがやっていたし、子どもの頃は父と一緒にナイターで巨人戦をみて楽しんでいました。

 甲子園での戦いや、高校野球そのものを否定するつもりは毛頭ありません。
 ただ、球児と行った場合それが野球だけを意味し、ましては高校球児といったら全国民が甲子園での爽やかな熱闘をイメージするほどのいわばブランド力を持っていることが問題だと考えています。

 知っての通り、高校野球連盟が仕切っているわけですが、この組織こそが高等学校の部活動を歪め生活指導等にも大きな影を落とす元凶だと考えているのです。
 高校野球というブランド力を背景に、一󠄀公益財団法人が(一󠄀公益財団法人ですから、信用も高く公益のために活動しているという事に異存は無いですが)
私に言わせれば偉そうにごちゃごちゃ言うなって事です。

 いろいろな事を、上の方で決めて下に下ろしてきてその中味が時代や方に合致したものなら構わないが、ともかく従わせる権力を持つ。これって、恐いことですよ。
 高野連に刃向かえば、当然甲子園には行けないわけだし、いわば専政状態な分けです。

 例えば、高野連に関係した用事があるとこれに関係している先生方は、その用事がある日は、職務免除と行って授業やその他業務をせずに高野連の業務をすることが出来ます。
 教師にとって、授業以上に大切なものがあるってどういうことなんでしょうか? それを、行政が職務免除って形で追認してるんです。
 その教員が、職免(職務免除)で学校を留守にする間、自習の対応その他を他の教員でフォローするわけです。どう考えても変です。無論、これが休暇だったなら何の問題も無いのですが、職免です。正直腹が立ちます。

 生徒も、野球に限らず、高野連を模したと思われる高体連や高文連の公式戦等の抽選会や加盟登録のために、『公欠』という扱いで授業に出ることなく部活を優先できます。(欠席にカウントしません)
 これについては、また書くことがあるでしょうが、とにかく学校において授業以上に部活が大事だという概念を形作ったのは高野連であるのは間違いない事実でしょう。

 今年は、熱中症対策で2部制となったりとか、確かに時代の流れに取り残されないように努力はしているんでしょう。
 でも、かつて女子部員はベンチ入り来ませんでした。1996年に、選手でもない女子マネージャーがベンチ入りすると、選手で無いしかも女子がベンチ入りするなんてといった議論がありました。
 そもそも何故女子マーネージャーがベンチ入りできなかったのでしょうね?
 そこに皆さんは、何も感じませんか?

 同じく、何故、丸刈りでないと『球児』じゃ無いんでしょうね?
 まあ、これは解消の方向ですが、多くの人にとって高校球児は丸刈りってイメージでしょう。
 衛生状況が良くなく水を十分に使えない戦場に行くに当たって、日本の兵士の皆さんは必然的に丸刈りにするしかなかったのだと思います。強制だったのでしょうけど。
 そのイメージから、要するフィールドは違うものの、戦うときに髪を気にすることがあっては戦いーこの場合は野球ーに集中できないという事でしょう。
 勝つために全てを捧げる、まさに戦争ですね。なんだかなぁ。

 青年期に体験すべき事が、たかが部活のために制限されてしまう。恐ろしいことです。

 こんな事書くとこんふうな論が展開されがちです。いわく、「部活が無かったら生徒達はやることがなくて悪さをするから、毎日目標に向かって練習することが健全な精神を養うに当たって必要だ」.…なんて本気で思ってますか?

 人としての尊厳や人格を平気で踏みにじる行為、そう最たるものが体罰ですが、それって部活の場面で多発してないですか?
 
 結果として生徒達は.…

 そもそも部活は、生徒の自主的な活動なはずです。
 ここら変は、また書かせて頂きますね。

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