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もの凄く幸せな生活。教員を退職して良かったと心底思えます。

 今現在、いろいろな悩みごとや課題を抱えてる方には申し訳無いですが、退職して3ヶ月、ノンストレスで滅茶苦茶快適な生活をしています。

 心理学者アドラーによると「全ての悩みは、人間関係から生じる」との事ですが、その「人間関係」がほぼ無い日常を送っているのです。

 というのも、約20年前に妻には先立たれ、子ども二人もそれぞれの生活を送っているので、独り身なのです。

 退職しても、家族と一緒という事が無いので、「人間関係」と隔絶しているともいえます。

 しかも、退職を機に家を売り、縁もゆかりもない別荘地に中古物件を買って生活しているのでご近所付き合いもないし、例えば郵便物を出すにも車を使って10分ほどかかる環境なので、とにかく一人なんです。

 一応書いておきますが、宅配便はちゃんと届きますし車で15分走れば必要なものは全て手に入りますので取り敢えずは困りません。

 ただし、スマホの電波は入りにくいですし、現在住んでいるところの防災マップも存在しません。

 ですから、自分自身を頼りに生きるしかないのですが、ノンストレスなんです。

 自分自身がそう感じているだけてと思われるかも知れませんが、スマートウォッチのストレスレベルのチェックは常に低いままです。

 という事は、これまでの教員人生は実にストレスフルだったことになります。

 だって、学校教育って「人間関係」の中でしか成立しないものですから。

 そして後遺症のように教員時代の夢を見ます。ちょうど夏休みが明ける時期ですが、夢の内容は2学期の始業式の朝ホームルームに行ったら、生徒達が全員金髪で注意しても全く聞く耳を持たないというものです。

 しかも、この夢は同じ内容で何回も見るのです。よっぽどストレスだったのでしょうね。

 そうそう、もみあげ周辺に白髪があったったのですが、夏休みに入ると黒くなり学期が始まるとまた白髪になるなんて言うことも経験しました。

 そう言えば、教員は退職後の余命が他の職種に比べて極端に短くなると読んだことがあります。真偽の程は定かでは無いですが、然もありなんと思ってしまいます。

 これもストレスがなせる技なのでしょうか? 恐い。

 「人間関係」が仮にストレスフルでなかったとしても、実は見えないストレスがあるのをご存じでしょうか?

 40歳くらいから、同窓会に出ると周りの同級生が老けて見えるという経験は無いですかか? それが、還暦を迎える時になると、恐ろしいほどの開きに思えてしまいます。

 何故何でしょうか? だって高校の教員を続けるには、生徒の流行り物や独特な言い回しに気を付けなければ、授業の時にコミュニケーションが難しくなるので自然と無理してアンテナ張って迎合?しているからなんだと理解しています。

 教員以外の仕事で、思春期の子らにずっと接している仕事なんか無いでしょう。普通に会社員してれば同僚も自分と一緒に齢を重ね、その中で生活しているので特に流行に敏感で無くても生活できますけど教員は違うんです。もっとも、新しい事が出来なかったりするので、若い社員には邪魔者扱いされたりして肩身が狭いかも知れませんけど。

 こんな事がありました。社会人経験がある40歳に迫る教育実習生を担当したことがありました。その実習生が生徒理解のために、ホームルームの時間に一人一人に好きなものを聞いていたときのことです。とある女子生徒が『嵐』と応えたのです。無論、旧ジャーニーズの嵐の事です。しかし、この実習生は「ストーム」?って聞き返したのです。この一言でこの実習生は、他の全ての生徒とも上手くコミュニケーションを取れなくなってしまいました。

 価値が共有できない教員と仲良くなることは無いですから。

 といういう分けで、特に課題が無い状態でも常にストレスに晒されているともいえる職業なのです。

 しかも私は妻を亡くしていて、妻を亡くして残された夫は寿命が10年縮まると言われているので、果たしてあと何年生きられることだろう? てな事を考えてしまうこともチョコッとだけありますが、気にしているわけではありません。

 生徒の存在そのものが、特に課題等が無くてもストレッサーになり得るのは書いたとおりですが、でも、そのストレスフルな環境が与えてくれたものがあります。

 世の中の新しい出来事や流行に柔軟に対応できるという事です。生徒に接して毎日を送っているからこそ、流行の曲を知ることができ早っているスイーツを知ることができたりします。
 
 そう常に刺激的な環境の中、新しいものへの挑戦がしやすいともいえるのです。

 なので、早死にはその代償なのかも。同世代以上に、世代を超えた楽しみを得られたとすると仕方が無いかもです。

 実は、LINEを始めたのは生徒の影響で、始めるに当たっては懇切丁寧に教えてくれました。大好きなバンド、バックナンバーも生徒を通じて知りました。

 文化祭向けの有志のdance団体の顧問を引き受ける中で、全く踊れ無いにもかかわらずdanceが凄く好きになりました。今回のオリンピックのブレイキンを楽しめましたよ。

 という分けで、生徒を通しての新しい刺激や挑戦は遠のいてしまったのは残念なんですが、逆に凄く穏やかで幸せな時間を過ごせてもいるわけです。

 ただ、最近、非常勤講師の登録をしようかなって思ってます。

 差別用語になるのかも知れませんが、『乞食と教員は三日やったら止められない』って事なんでしょうかね? まあ、そう思えていること自体幸せなんでしょうね。

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