見出し画像

「体育会系ゲームが好き」という悩み【自分とゲーム】

少し前にTwitterで「体育会系のゲーム」という言葉を見かけて、自分の中でいろんなことが腑に落ちた、という話です。


見かけたというか、思い出したきっかけはぱソんこさん(@passonco)のこのツイート。「NewスーパーマリオブラザーズWii」発売時の「社長が訊く」の中で、岩田社長がこんな風に発言している。

岩田:
わたしは『マリオ』に代表される
宮本さんたちがつくる一連のアクションゲームを
“体育会系のゲーム”と表現しているんですけど(笑)、
苦労して苦労して苦労して先に進んで
「ああ、もう少しでゴールだ」と思ったところで
ミスをしてしまうんですよね。
すると「さあ、もう1回!」という声が
天から聞こえてくるんですよ。
それで、もう1回チャレンジするんですけど、やっぱりダメで。
でも、そうやって、何度も何度も失敗しながらも
経験がどんどん積み重なっていって、
その結果、クリアしたときの達成感は
ものすごく大きなものになるんですよね。
そこが、“体育会系”なんですよ。


この「体育会系」という表現、当時はあんまり気にしていなかったんだけど、今になって読み返したらちょっと自分の中でひっかかるものがあったので、自戒を込めて思ったことを書き残しておきます。

※ちなみに上記「社長が訊く」ですが、岩田社長のコメントを受けて、さらに「じゃあ宮本茂はそのことをどう思っているのか」「それを踏まえてどういう解決策を入れたか」「その結果どういうことが起こったか」にまで触れていて超面白いです





難しいゲームを他人に薦めるのは「不誠実で独りよがり」なのか

というのも、ここ最近ずっと「難しいゲームを他人に薦めることの是非」みたいなことをずっと考えていて、Outer WildsにしてもThe Witnessにしても、自分が最近ハマって心の底から満足できたゲームって、ほとんどが「難しいゲーム」なんですよね。SEKIROとかLA-MULANA、あとバトルガレッガなんかもそう。

ところが、これらのゲームを周囲にオススメしていく中で、「誰にでもクリアできるようになっていないのは不親切」という声に突き当たることがしばしばあった。

中でも顕著だったのがOuter Wildsで、特に強烈に印象に残っているのは、ある記事についていた「名作だけどアクションが難しく、謎解きだけ楽しみたい人には薦められない。そこを軽視しておすすめする不誠実、独りよがりな人間が目立つ」みたいなコメントだった(すいません……)。これはかなり極端な例だけど、他にも「こんなに人を選ぶタイトルなのにベタ褒めしすぎ」とか「ゲームがうまい人はゲーム下手な人のことを考えずにレコメンドするから嫌い」みたいな声も目にしたりした。自分がこれまで触ってきたゲームって、「誰にでもクリアできなくて当然」というのが主流だったので、こういう意見を目の当たりにして、少なからず面食らってしまったんですよね。そんなこと言ったらどんな簡単なゲームだって多かれ少なかれ「クリアできない人」は出てくるわけで、もはや少しでも「技量」が問われるゲーム全部ダメにならんか!? あとそもそも最初はできなかったことが少しずつできるようになっていくのもゲームの楽しさでは!????

――などと表向きはちょっと反省しつつ、内心では多少のモヤモヤを引きずったりしていたんですが、冒頭の「体育会系」という言葉を久々に見て、なんかいろんなことが一気に腑に落ちてしまった。冷静に考えると「誰にでもクリアできなくて当然」「最初はできなかったことが少しずつできるようになっていくのが楽しい」って、めちゃくちゃ体育会系の思考だわ!!!!


「リアルでリフティング10回」は嫌だ

自分の場合、中学高校と運動部には一応所属していたんだけど、運動自体は昔からさっぱりで、マチズモとか体育会系ノリみたいなのってめちゃくちゃ苦手だったんですよね(なんならそれがイヤでゲームに傾倒していったんじゃないかという気さえする)。でも、これをそのままゲームに置き換えてみたら……自分がめちゃくちゃ「体育会系思考」に染まっていることに気付いてしまった。

ここから先は

2,206字

¥ 100

赤ちゃんのおむつ代にします。