見出し画像

『手仕事と暮らしの繋がり』(皆川明)

産業革命以降、手仕事がこの世界から減り始め、機械化、合理化によって有機的な物づくりが社会の景色から失われている。住まいという人の暮らしの中心となる空間においてもそれは例外ではないようだ。

私達が消費という言葉を用いて物を購入し始めたのはいつ頃からだろう。いつしか私達自身も消費者と名乗り、日本においては1970年頃からの高度経済成長の物づくり方程式は、大量生産、大量消費のサイクルとなっていった。そのサイクルは生産量が増え、時間サイクルはより短くなり、そこに費やされるコストも安価な物へとシフトしていくこととなる。当然、作る現場は合理化と簡略化が進み、手仕事による技術を活かす場は減っていき、その技術の伝承も難しくなっていった。

本来のサスティナブルやSDG'Sという環境への意識や目標は、単に持続可能性を謳っているのではなく、本質的な意味として人間の営みと幸福感が繋がらなければならないのだと思う。人は物を所有することでその機能や物の美しさから幸福感を得ているが、その感情は物への愛着や敬意とも言えるだろう。その感情を人が感じるためには、単なる機能だけではなく物に含まれる作り手の“想い”も大切な役割を果たすのだと私は思う。物質が再生可能であれば消費を無頓着にしても良いということではない。簡単に短サイクルで消費されるということは、そこに費やされた人の労力や時間すらも無駄にしてしまうからだ。現代社会において人の手仕事や職人の技術を絶やさないようにしなければならない理由は、作り手の想いと仕事から生まれる物の生命力を、使い手が感じることで抱く愛着によって、長らえさせることができるからだと思っている。そして長く愛用するという暮らしは、結果的に心情的な満足だけでなく、経済的にも豊かさをもたらすこととなる。単純で少し雑な例えで申し訳ないが、ある価格で一年しか使わない物を買うより、仮にその5倍の価格の物だとしても10年使うとしたら一年あたりの値段は半額で済む。そして長く使い愛着を持つ物との暮らしは心にも豊かさをもたらすだろう。

そのような視点に立つ時、私達にとって本当に大切な暮らしや営みとは何だろうか。経済的な環境もこの大量生産、大量消費、大量廃棄のスパイラルではいつか立ち行かなくなるように私は思う。そしてこれからも短サイクルな消費を続けるのであれば、どんなにその物がリサイクルされ再生可能だとしても新たなエネルギーを使いまた大量生産を続けることになる。リサイクルされているから環境に配慮しているという安心のもと、却って環境を悪化させてしまうことへと進みかねない。私たちはここでいったん立ち止まり、営みのサイクルを緩やかにして、作り手は物づくりの速さを追うのではなく、長く使える物を丁寧に必要な時間をかけて作る。そして使い手は、その物の品質や労力や物への敬意を持ちながら、自分達の生活の中で長く愛用していく必要があるだろう。

手仕事や職人の技術や経験は、社会の無形文化であり、社会が共有できる財産でもある。日本においてもそれらは長年の探究と研鑽と伝承によって、大切に受け継がれてきた。それは本当に日進月歩弛まぬ職人の創意工夫の積み重ねであっただろうと思う。その技術は、勘と経験が長い年月によって手に馴染み携わり得られるもので、コンピューターのプログラミングとは道筋の違うものだ。もちろん今日のITによる機械とシステムの構築は目覚ましい進歩であり、その発展は社会の可能性に貢献している。現代においては、この機械化の進歩と職人の手仕事がシンクロすることで新しい価値が生まれるかもしれない。ITや先端技術が職人の手仕事に取って代わるのではなく、新たな道具として職人の経験や勘を補助する関係性になれたら、物づくりの現場は新たな環境を手に入れられるかもしれない。失われつつある長年培われた職人の技術や経験値を世界中から集めて編集しデータ化して、これからの職人の育成やその技術の普及や習得に役立てることもできるだろう。そして世界の職人の技術をオープンソースとして公開させることで、それぞれの物づくり文化に新たな気づきが生まれ、より職人の育成が進み、先端技術と職人の手仕事の融合が生かされた建造物が作られるかもしれない。そのことで社会の景色がより機能的でもあり有機的で生命力のあるものに繋がることは、新しい価値に繋がるだろう。その意味で機械化によってコストや時間の合理化だけを追うのではなく先端技術と職人の協働による価値を考える必要があるだろう。しかし職人の技術はプロセスや手法をデータ化できても、結局は職人の生命でリレーしている無形な価値となる。だからこそ職人の育成やその環境の整備はより大切な課題となるだろう。ダイバーシティの考え方が主流となるこれからの社会では、より人の固有の能力が生かされ評価されていくだろう。その中で手仕事を鍛錬し継承する職人を、社会の風景を創る担い手としてより一層認識していく事が私たちの暮らしを更に豊かにしてくれることに繋がるのだと思う。

大量生産、大量消費による環境変化は、人や地球の営みが心地良いと感じたり循環を維持できる速さを越えていることは私達も実感している。それを変える一つの道として、人の手仕事がこれからも大切に繋がれていくことは、暮らしのリズムを緩やかな方向へと変換してくれる役割としても重要なものになると信じている。

皆川明 
ミナ ペルホネン デザイナー
1995年に「minä perhonen」 の前身である「minä」を設立。ハンドドローイングを主とする手作業の図案によるテキスタイルデザインを中心に、衣服をはじめ、家具や器、店舗や宿の空間ディレクションなど、日常に寄り添うデザイン活動を行っている。デンマークKvadrat、スウェーデンKLIPPANなどのテキスタイルブランド、イタリアの陶磁器ブランドGINORI 1735へのデザイン提供、新聞・雑誌の挿画なども手掛ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?