秘密

職場の駐車場に着くと、佐山さんが自分の車を乗り捨てて真っ先に声をかけて来た。

「ア、アンタ、本気でミンスと同じ車じゃない!」

彼女は慌て過ぎて、車の鍵すら閉め忘れている。

「言ったじゃないですか。叔父が買ってくれたって。」

まさか、テヤンとの結婚が条件だとは思わなかったけど。

私は秘密を飲み込むように、大きく唾を飲んだ。

佐山さんは私の挙動不審に気付きもせず、目の前の車に夢中になっている。

そうだ。

それで良い。

頼むから何も聞かないでくれ。

あ、と佐山さんは意味深に声を上げた。

さも、何かを思い出したかのような呟きに私の胸は大きく跳ねた。

まだ温かな春の日和だというのに、私の脇からは大量の汗が流れ出ている。

なにぶん、こんなに大きな秘密など今まで隠し持っていたことがないのだ。

3歳の子供に30kgの米を持たせているようなものである。

死にはしないが身動きは取れない。

そもそも持ちきれない代物だ。

「CUTといえば、テヤンが…」

佐山さんが振り返りながら呟いているのが、まるで映画やドラマのワンシーンの様に、スローモーションで見える。

テ、テヤンがどうした?

いろいろストレスが溜まりすぎてニュースなど見れていないのだ。

昨日一日は2時間かけて家に帰り着いた後、CUTのグッズを見るのも嫌で(殆どテヤンが写っているため)3畳の客室に引きこもり、洋画三昧で過ごしたのだ。

だが、それが浅はかだったのだろうか?

まさか、大々的に結婚を報告したのか?

籍どころか、書類の準備も出来ていないのにそんなことが可能なのか?

私は込み上げる不安の所為で、脇どころか背中にまで汗をかき始めていた。

「一昨日倒れたらしいわよ。」
「え?」
「アンタ知らないの?おはジャパでも取り上げられてたわよ?なんでも、ダンスレッスンのしすぎですって。ミンジュンやチョンホならまだしもテヤンが倒れるなんて思わなかったわ。練習動画では手を抜くことがあるから、上手く力を抜ける子だと思ってたのにねぇ。」

佐山さんは私の気持ちも知らないでマシンガンのように語る。

一昨日と言えば、私とテヤンが話した日だ。

レッスンもあったのに、ペンミの準備だってあったのに、私と連絡を取ってくれて、遅れを取り返すように練習したのだろうか?

ふと、あの日のやりとりを思い出した。

『一気に色んなことがありすぎて、頭を整理させたいの。今日は帰って良いでしょ?』
『おいおい、せっかくテヤンが時間を作ってくれたのに』
『私の時間は!』
『…』
『私の時間は無限にあるとでも思ってるの?』
죄송합니다チェソンハムニダ 누나ヌナ(申し訳ありません。ヌナ。)』

あの時のテヤンは黒いキャップを後ろに向けて被り、白いロングTシャツを着ていた。

練習動画の時のテヤンの格好によく似ている。

もしかして、みんなが休憩の時間に、私と連絡を取っていたのではないだろうか?

そして、休憩もまともに出来ずに練習に戻り、倒れてしまったのではないだろうか?

可能性として大いにあり得る話である。

私は冷静にやり取りできなかった自分が恥ずかしくなった。

「どうしたのよ、急に黙って。何か叔父さんから聞いたの?」
「あ、いえ…テヤンが倒れるなんて想像もできなくて。」
「そうよねぇ!」

そう言って佐山さんは私の腕に自分の腕を組んで、更衣室の方へと引っ張っていく。

佐山さんがチョンホペンで良かった。

私はまた一つ大きな秘密を抱えてしまった。

佐山さんは更衣室に入ってからもCUTのダンスが年々厳しくなっている点やチョンホのダンスがより一層美しさを増している点などを語っていた。

私は相槌を打つものの、何一つとして脳内に残せていないのだった。

何故なら、ただ、ただ、テヤンのことが気がかりだったからだ。

「圭ちゃんっ!」
「え?」
「ボーッとして!襟にリップ付いちゃってるよ!」

佐山さんに言われてロッカーの鏡を見ると、薄いピンク色のポロシャツの襟に、柄ではないとすぐに分かる濃いピンクの斜線が入っている。

「あちゃー、落ちますかね?」
「いくら医療用クリーニングでも、リップは難しいんじゃない?」
「ですよね。」
「また、利用者さんにからかわれるよ!」

佐山さんはそう言って私を肘でつついた後、更衣室から出て行った。

私はため息をき、クリーニングルームに他の自分の制服が届いていないか確認しに行った。

「お、圭さんじゃん。」

私が扉を開くと雪道くんも制服を探しに来ていた。

雪道くんはミンスと同じ歳の尚且つイケメンで、職場の皆んなからも可愛がられている同僚である。

ミンス同様、私の5つ下とは思えないしっかり者で、私は主任を任されているにも関わらず、雪道くんに助けてもらうことが多い。

私が黙っているのが気になったのか、彼は私のことをじっと見つめた。

「おはよう。」

私は努めて笑顔で言ったが、雪道くんは首を傾げた。

「圭さん、らしくないっすね。」

彼はそう言って私に近づいて来た。

この職場では、更衣室は男女別だが、クリーニングルームは男女共同という謎の構成なのである。

「そんな時はCUTのBurst up聴いたら、テンション上がるんじゃないんすか?」

雪道くんはそう言って私に笑いかけた。

釣られて私も笑顔になる。

私は、周囲から馬鹿にされることもあるが、介護職という、この仕事に誇りを持っている。

それは、雪道くんも同様で、相手のことを気にかけて、相手に喜んでもらえるこの仕事は、パソコンや書類を目の前にする仕事より、遥かにモチベーションが持続しやすいと思う。

そう思うと、やはり一昨日の私は人の対応として失格だった。

自分のことしか考えていなかった。

出来ることなら私も爆発したい。

「何があったか分かんないっすけど、俺も嫌なことあった時は、ミンスが作ったSWAG満載の曲でストレス発散してるんですよ。圭さんのおかげっすよ。」
「Burst upはユジョンの曲だよ。」
「あ、せっかく元気付けようと思ったのに、そうやってすぐcutterマウント取って!」

雪道くんは、そう言って怒ったフリをした。

「まぁ、マウント取る余裕あるなら大丈夫っすね。」

そう言うと、私の肩を2回叩いて、彼は部屋を後にした。

大丈夫。

…本当に大丈夫だろうか?

テヤンなんて大嫌いになったと思ったのに。

募る不安を覆い隠すように、私は制服を抱きかかえた。


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