心配

新しい制服に着替えると、スタッフルームにはミンスの笑顔があった。

そうか、4月に変わったからカレンダーが新しくなったのだ。

私の職場であるデイサービスは、私がスタッフや利用者さんを洗脳した影響で至る所にCUTのグッズが置いてある。

叔父のコネを使って、ペンライトも旧型〜現在の型を合わせ10本以上あり、シアタールームで私の持っているライブDVDを流すこともあるので、cutterと化したおばあさま方がこぞって集まり、ペンライトを振り回しながら黄色い声を上げているのだ。

一般的なデイサービスで行うような高齢者向けの体操は嫌がる方も多く、CUTのバラードの曲を流して、私や他のスタッフが考えた振り付けで踊りながら、体力作りに貢献してもらっている。

もちろん、全員が全員cutterな訳ではないし、嫌韓の利用者様もいない訳ではないので、cutterと化したおばあさま方を同じ曜日に集め、他の利用者さんの迷惑にならないようにしている。

改めて、こんなに良い職場はないと思う。

就職してからかれこれ10年。

みんな私に寛容で、言い合うことも少ない。

もちろんスタッフが少ないのと、辞める人も殆ど居ないからだと思うが、それなりに理解し合っていると思う。

「橘さん、せっかくミンスに変わったのに、全然嬉しそうじゃないねぇ。」

そう言って声を掛けてくれたのは施設長だった。

施設長は私の父と同じ歳で、61歳になる。

「圭さん、全然元気ないんですよ。でも下手に元気付けたらマウント取られますよ。」

私が返事をする前に、雪道くんがそう言った。

「ちょっと、そんな言い方よしなさいよ。」

私が怒る前に注意してくれる佐山さん。

「荷物置いてきたら、朝礼始めるね。」

優しく声を掛けてくれたのは、今日の朝礼の司会である看護師の内村さん。

食事は隣のお弁当屋さんからの配食を提携しており、シルバー人材センターから、送迎車の運転や庭の草むしりなんかは依頼しているものの、実質このデイサービスを回しているのは、残り2人の介護士ともう1人の看護師を合わせて8人である。

他の施設ではリハビリのスタッフなんかがいる所もあるが、ご飯とお風呂、そして自主的な運動や活動を促すこの施設ではリハビリのスタッフが必要ないのだ。

定員人数も最大15人と少なく、割とこじんまりとした施設だが、施設長のお母様が重度の認知症を患っていたことから、最新の設備となっていた。

出入り口の自動ドアは、入るのは自由に入れるが出る時はパスワードが必要だし、施設の庭には畑や花壇だけでなく、認知症の方が不安にならないようタクシー乗り場を作っている。

本当にタクシーが来ることはないが、家に帰りたいと不機嫌になった利用者様にはそこで座って貰い、施設長にだけ繋がる電話を持たせて、電話を掛けさせると殆どの利用者さんが落ち着くのだ。

もちろん認知症のない方も多いので、2つのシアタールームでその人達が当時ハマっていた映画やカラオケなどを出来るようにも準備している。

こんなに自慢できる職場は、日本の中でも数少ないだろう。

不安になることなんて何一つない。

私は鞄を自分のデスクの上に置いた。

内村さんが、笑顔で朝礼を始めた。

不安なんて何一つないはずなのに、私は心配が拭えなかった。

朝礼は滞りなく終わった。

最大定員は15人だが、実際の1日の利用者様は10人から12人の割合のため、送迎は8人乗りの車2台で事足りている。

今日は雪道くんと佐山さんが送迎当番に当たっており、私と内村さんは快適に利用してもらうべく掃除を始めた。

内村さんもまた、娘さんの影響によりcutterとなった人だ。

確か、INFINITYの時にハマったはずだから、3年前だっただろうか?

そうだ。

確か、内村さんの娘さんはテヤンペンだった気がする。

内村さんはジュノペンだったっけ?

黙々と拭き掃除に徹していると、沈黙に耐えかねたのか内村さんが私に声を掛けた。

「橘さん、テヤンが気になるの?」
「え?」

内村さんは、私の心でも読めるのだろうか?

椅子を拭いていた手が止まり、怖くて内村さんの方を向けない。

内村さんは、気にせず話を続けた。

「今朝のニュースで一昨日テヤンが倒れたって言ってたでしょ?うちの娘も今の橘さんみたいに良いことがあっても全然手放しで喜べてなくて。少しぼんやりしてるって言うか…心配だけど何もしてあげられないからもどかしいんでしょうね。」

固唾を飲むとはこう言うことだろうか?

ダンスレッスンで倒れたと聞くだけで、放心してしまう女の子が身近にいるのに、結婚を受け入れて良かったんだろうか?

「橘さんって8年も前からCUTのファンでしょ?娘に比べたら心配の量だって比じゃないと思って。」

ふと、その言葉を聞いて内村さんの顔を見た。

年数なんか関係ない、と言おうと思った。

だって、会うタイミングが違っただけで、人を好きになるのに理由なんてない。

そして、その熱量だって、人それぞれ違うのだ。

「ふふ、本当に心配なのね。橘さん、心配しないで。We birthで今朝テヤンが投稿してるから。元気みたいよ。」

We birthとは、TOPHITが管理しているSNSの名前である。

私の表情を、内村さんがどう解釈したのかは分からない。

ただ、分かることは、私はこの人たちを裏切る行為をしていると言うこと。

私の決めた決定権は、多くの人を傷付けるということ。

その中には私の大好きな人もいると言うこと。

内村さんは、笑顔で私にテヤンの投稿を見せてくれた。

걱정コクチョン 말아요マラヨ.건강コンガン 하니까요ハニッカヨ!(心配しないでください。健康ですから!)』

テヤンはそう投稿して、休憩室のようなところでユジョンとツーショットを撮っている写真を上げていた。

だが、よく見ればテヤンに泣いた跡がある。

悔し泣きだろうか?

普段なら上手く立ち回り、周りに冗談を言ったりする子だ。

最近はイメージを守るために、変なことをすることは減ってきたが、元々ネタキャラだったのもあるし、きっと彼には彼なりの不安に押し潰されそうな瞬間があるはずなのだ。

私が覚悟を決めなければ。

「本当ですね、良かった…。」

私がそう言って安心した様子を見せると内村さんも笑顔になった。

「でしょ?これで橘さんも利用者さんの前で笑顔になれるわね。」
「はい、ありがとうございます!」

元気で、不安のない自分を演じよう。

大好きな人を傷付ける不安なんて、CUTのメンバーが傷付くことを思えばなんてことはないと、さっきの写真を見て痛感した。

私一人が我慢すれば、みんなが笑顔になれるなら、それで良いはずなのだ。

送迎車の扉が開く音がする。

私は玄関まで向かい、笑顔で全員を受け入れる。


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