素直
ポストイットを入れた額縁に反射して、泣いている彼女の顔が見える。
「そういえば、体調は大丈夫なの?」
話題を逸らすためか、彼女はそう言った。
「大丈夫じゃありません。今の会話で、分かりませんでしたか?」
俺がそう言うと、彼女は携帯を持っている方のTシャツの袖で涙を拭いている。
それと同時にカメラが小刻みに動いた。
一挙一動が愛おしい。
俺は心の中でそっとシヒョクヒョンとミンジュンヒョンにお礼を言った。
「…ごめん。」
彼女はカメラをアウトカメラにしたままで、何故かお辞儀をしている。
額縁がなければ気がつかなかったのに、そんな事をしている彼女が可愛かった。
―――遡ること数時間、ユジョンヒョンの部屋から出た後、俺はお茶を飲みに休憩フロアへと足を伸ばした。
そこでトレンドドラマを視聴し、気が付けば眠ってしまっており、その帰りにダンスフロアの前を通ると、レッスンをしているミンジュンヒョンとシヒョクヒョンを見かけた。
ミンジュンヒョンとチョンホヒョンは、どちらもダンスがトップクラスであるが、躍動感が際立つチョンホヒョンと違い、ミンジュンヒョンの流れるような所作がcutterの心を虜にしている。
今度のファンミーティングでも、ミンジュンヒョンのソロダンスの時間を入れる事に決まり、きっと、その練習に夢中になっているのだ。
俺が見つめている事に気づいたシヒョクヒョンが、ミンジュンヒョンに声をかけて、練習を中断した。
ミンジュンヒョンは、流れる汗もそのままで、ダンスフロアの扉を開けた。
「태양야,컨디션은 괜찮아?(テヤン、体調は大丈夫?)」
「아무것도 아니에요!(何ともないです!)」
俺がそう言って笑顔を見せると、後ろからシヒョクヒョンが来て首を振った。
「아무렇지도 않다고?저번에 쓰러졌으면서?(何ともないだって?この間倒れたのに?)」
シヒョクヒョンの一言に、ミンジュンヒョンも頷いた。
俺はなんとなく分が悪く、2人に謝罪する。
するとミンジュンヒョンは両手を左右に振った。
「아니,걱정하고 있을 뿐이야(いや、心配してるだけだよ)」
「고마워요,형(ありがとう、兄さん)」
俺がそう言って笑顔を見せると、シヒョクヒョンが俺の持っているA4用紙に気がついた。
その視線に気が付き、思わず背中の方へ隠す。
こんな恥ずかしい文章をこれ以上他人に見られたら笑えない。
だが、そんな俺の願いも虚しく、シヒョクヒョンに体格差で圧倒的に負けている俺はその10箇条を奪われてしまった。
「너 설마…(おまえ、まさか…)」
10箇条を読み切ったミンジュンヒョンが驚きのあまりか口を開いた。
シヒョクヒョンは大きなため息を吐く。
俺は申し訳なさから、俯いてしまった。
アイドルである自覚が足りないと言われてしまうだろうか?
だが、シヒョクヒョンから思いがけない言葉をかけてもらった。
「진심이라면 귀찮은 짓은 하지마(本気なら回りくどいことはするな。)」
シヒョクヒョンはそう言って、俺に10箇条を渡してきた。
俺はそれを素直に受け取った。
「답지 않네(らしくないぞ。)」
追い打ちをかけるようにシヒョクヒョンは言った。
「나도 같은 생각이야(僕も同じ考えかな。)」
俺の目を見ながらミンジュンヒョンも頷いた。
俺は静かに10箇条に目を落とした。
確かに、この10箇条のように振る舞って仮に彼女に好かれたとしよう。
だが、この10箇条の通りに振る舞って、果たしてソン・テヤンが愛されたと言えるのだろうか?
答えは否である。
どう考えてもこの紙の中の男は俺らしくない。
それならいっそ、素直に自分らしく振る舞うべきじゃないのかと、自分でも思い始めた。
「폼잡는 짓은 그만해(格好つけるのはよせ)」
シヒョクヒョンが乱暴に俺の頭を撫でながらそう言った。
下手に背伸びをしたところで俺がその位置まで上り詰められれるかと問われると何も言えなくなる。
とどのつまり、背伸びをしたところで俺は此処で書いた通りの男になれるはずがないのだと気が付いた。
この男通りに振る舞えば好かれるとしても、それは俺自身が好かれたことにはならない。
ならば時間が掛かってでも、本来の俺自身を愛してもらった方が幸せなのではないか。
そんな考えが過ぎった。
突然、携帯電話に通知が届いた。
見ると彼女が“踏んだり蹴ったり”と愚痴を零している。
俺は敢えてコメントを残すこともなく、自分の思うがままにメッセージを送っていた。
そんな俺の様子を見て、シヒョクヒョンもミンジュンヒョンも楽しそうに笑った。
「힘내!태양아!(頑張れ!テヤン!)」
「하면 된다!(やればできるぞ!)」
二人はそう言って俺がメッセージを送る様を応援する。
何故か、俺自身も出来る気がしていた。
『누나,보고싶어요』
俺がそうメッセージを送ると、二人が俺の背中を叩いた。
まるで高校生の頃にでも戻った気分である。
二人とも俺の恋路が気になるからか、マトモに練習に打ち込めず、しばらく他愛もない会話をすることにした。
途端に携帯の着信音が鳴り、俺達は三人で画面を覗き込んだ。
そこには、『나도』と書かれていた。
俺たちはまるでオリンピックで優勝でもしたかのように大声で叫んでいた。
真っ先に鏡で髪型を整え、シヒョクヒョンとミンジュンヒョンにビジュアルチェックをしてもらう。
そして、近くの作業ルームへ移動することにし、テレビ電話をすることにした。
いつの間にか不安は吹き飛んでいた。
多分、自分を偽る必要がなくなったからに違いない。
自然と口元が綻んでいる。
好きだ、と改めて思った。
やはり、自分に素直でいることは良いことらしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?