動揺
お風呂掃除を済ませ、もう一度携帯の通知を見ると、何故か維羅から返事が来ていた。
『会って話そう。』
何を言ってるんだ、コイツは。
別れる時、私が同じことを頼んだのに、彼は取り合わなかった。
とどのつまり、私がコイツの頼みを答える義理はない。
『会いたくもないし、話したくもない。』
私がそう送ると、奴は珍しく即レスしてきた。
『そっちに行く。』
その台詞に鼻で笑った。
頭が悪いんじゃないのか。
『私の住所なんて知らないでしょ?』
あの日、一夜を共にしただけで、お互いに深い話は一切していない。
私がどこに住んでるかなど言うはずもない。
そう思っていたが、次のメッセージを見て私の背筋は凍り付いた。
『あの日、GPS付けたんだ。』
思考が停止する。
なんで?
『ずっと、お前のことが忘れられなくて。』
私が返信していないのにメッセージが届く。
『俺、凄く愛されてたんだなって思って。』
ポン、ポン、と通知音だけが軽快に鳴る。
『でも、お前だって、俺だけだっただろ?』
『ちゃんと会って話そう。』
『誤解は解きたい。』
『あの日、再会できて、やっぱり俺たちは運命だったんだって、再確認できたからさ。』
連なるメッセージを見たくなくて、私は携帯を投げた。
怖い。
維羅って、こんな人間だったっけ?
INFINITYの歌詞では、あんなに輝いて見える『運命』の文字が、酷く恐ろしいものに思える。
こんな運命、望んだりしてない。
でも、どうしよう…。
もしも、2時間後にインターフォンが鳴ったりしたら…。
警察官の癖になにやってるんだよ!
私は心の中で叫んだ。
さっきまでが幸せ過ぎた分、私の動揺ははるかに大きい。
でも、警察に連絡したとしても、維羅自身が警察官なのだから、上手く躱すに違いない。
誰に連絡すればいいんだろう。
そもそも、GPSを何に付けたんだ?
やっぱり、無難に携帯だろうか?
だとしたら、どっちだ?
私の本当の携帯の方か、はたまた叔父から借りている携帯か、あるいは両方か。
助けを求めたいのに、手を伸ばす相手がいないだなんて、残念過ぎる。
私が途方に暮れていた時、また携帯の通知音が鳴った。
恐る恐る画面を見ると、雪道君がまたスタンプを押し返してくれていた。
私は思わず、雪道君に電話していた。
『はいはい、どうしたんすか?』
飄々とした雪道君の声に、安心感から息が漏れる。
ようやくマトモに呼吸できた気がした。
だが、雪道君はそう受け取らなかった。
『あ、せっかく電話に出たのに、ため息なんか吐かないでくださいよぉ。』
私は、その雪道君の返事に慌てて否定する。
「ち、違うの!今、時間あるのかな?って、安心して…。」
私のその言葉に、察しのいい彼は声音を潜めた。
『圭さん、なんかあったんですか?』
私は、彼に見えないのに何度も頷いてしまった。
「そうなの。ちょっと男手が必要で…住所送るから、うちに来てくれない?」
私がそう言うと、雪道君はおもむろにため息を吐いた。
『なぁんだ、パシリっすか?高く付きますよ。』
「うん、そうなんだけど、何分急用で。」
私が笑って見せると、雪道君は『すぐ向かいますね。』と言って電話を切った。
良かった。
私はすぐさま、住所を雪道君に送った。
どうか、どうか、維羅より先に、雪道君が来てくれますように。
そして、思う。
私が付き合っていた頃の維羅はあんな感じじゃなかったのに。
もっと、掴みどころがなくて、余裕があって、振り回されるのは私の方だったのに。
つい先ほどまでの幸せな時間を返してほしい。
私は、両手を組んで前かがみになり、両手に額を擦り付けた。
テヤンの時間を4時間も奪った罰でしょうか?
でも、神様、私も私なりに不幸なことがあったんです。
何故か、信じても居ない神様に弁解する。
言い訳すれば、現状が変わる訳でもないのに。
維羅からメッセージが来ていないのもそれなりに怖い。
だって、通知が切れたという事は、運転している可能性がある。
つまり、刻一刻と維羅が、我が家に近づいている可能性だってあるのだ。
情けなくも風呂場から「お風呂が沸きました。」と機械的音声が流れた。
煩い。
もう、風呂に入る余裕なんてないのだ。
インターフォンが鳴った。
出るのが怖い。
恐る恐る、カメラを確認すると息を切らして立っている雪道君の姿があった。
私は慌てて玄関まで走って行った。
扉を勢いよく開け、雪道君の名を呼んだ。
「やっぱり、急いできて良かった。」
雪道君はそう言って、何故か私を抱きしめた。
抱きしめてきた彼の胸板は、思っていたよりも広くて、私は再び動揺する。
一昨日の維羅の体なんて目じゃなかった。
筋トレが趣味だと言っていたのは伊達じゃないらしい。
私は困惑しながらも、雪道君くんの背中を叩いた。
雪道君はそっと私から体を離すと、今度は肩を抱いてきた。
こんなこと、今まで誰かにされたことがなくて思わず照れてしまう。
ふと雪道君の顔を見ると、誰かを見据えるような眼差しで、私は思わず彼の目線を辿った。
寒気がした。
花束を抱えた維羅が、そこに居た。
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