揺蕩う
私の話に耳を傾けながら、今まで見たことのないような表情でテヤンが微笑んでいる。
この彼の表情をどう説明すべきなのか分からないけれど、きっと、周囲の人からは自惚れていると馬鹿にされるのだろうけど、私はこの人に愛されているんだなぁと実感できる、そんな表情だ。
私のこの泣きはらした顔とライブTシャツにジャージズボンという恰好を見られたら幻滅するだろうが、一cutterとしてよりも大切に扱われていることに私は高揚していた。
恥ずかしさを紛らわせるために、私は最近のファンミ―ティングよりも、INFINITYよりも前のファンミーティングや4周年記念の「House Party」の時の方がcutterとの距離が近くて幸せだった点、もっとメンバーの内面について寄り添えそうな企画などをこんこんと語っていた。
ふと画面越しに目が合うと、彼に私が見えている訳でもないのに、まるで全てを見透かされているようで、思わず目線を伏せてしまった。
心臓が鳴りやまない。
両頬が焼けるように熱い。
「ヌナ。」
テヤンの低く少し掠れた声が、私の耳元に降り注ぐように届いた。
「うん?」
私が画面に向き直ると、テヤンは寂しそうに笑う。
「今のご意見を、参考にして、…そろそろお開きに?」
「え?あ!そうだよね…ごめん…。」
時計を見ると、時刻は16時半を過ぎていた。
お昼ご飯も食べずに、私は何をやっていたんだろう。
4時間も彼のことを拘束してしまっていた。
「なんか、私ばっかり話して、ごめんね…。」
私がそう言うと、テヤンは軽く左手を振った。
「大丈夫です!とても有意義なお時間でした。」
あ、と口から声を零しそうになる。
先ほどまでの特別扱いではなく、いつものcutterに対するテヤンの表情に戻ってしまった。
「私も。」
そう言って微笑んで見せる。
何を期待しているんだか。
自分が忘れていた思い出を覚えてくれていたからと言って、おこがましいにもほどがある。
初めての日本人のファンということで、テヤンの記憶に残りやすかっただけかもしれないじゃないか。
あの当時の私は完全にミンスペンだったし、だからこそ記憶に残らなかったのも失礼な話ではあるけど、それ以降の私とのやり取りをテヤンが覚えているとも限らない。
INFINITYの後のサイン会で「綺麗な髪ですね…触っても良いですか?」とテヤンから言って来たことすら忘れているかも知れない。
恐る恐る触る彼の指先から、緊張が伝わってきた。
あんなにかっこいいのに、女性慣れしてないんだなぁ、と思う。
その点ミンスは、私が「오늘을 위해서 미용실에 갔다왔거든요(今日のために美容室に行ってきたんですよ)」と伝えると「ありがとう、綺麗だね」と私の髪の毛をひと房持ち上げて、髪の毛にキスするふりをしてくれたから、やっぱり佐山さんの言ってることは間違っていない気もしてきた。
それでも私は、ミンスに夢中な時、彼が女ったらしだと言われるのが不快でならなかった。
でも今は、テヤンとミンスの間で揺蕩う今は、俯瞰的に彼らを見つめることが出来る。
cutterをcutterと一括りにして見ているミンスとcutterを一人の人間として見つめようとするテヤン。
私は、こんなにも気の多い女だったのかと思うとゾッとする。
沈黙に耐えかねたのか、テヤンが困ったような顔をして口を開いた。
「ヌナが、切ってください。」
「えぇ?」
思わず情けない声が漏れた。
「僕の方がヌナのことを好きなので、切れません。」
思考が停止する。
きっと、どのcutterでも同じ感覚に陥ると思う。
だって、どう考えたって、私たちの方がメンバーのことを愛している。
それなのに、こんなことを言われてしまったら…たとえその言葉が嘘だったとしても、喜びを隠せないだろう。
私はゆっくりと息を吐いて、テレビ電話を切るボタンに指をかける。
「じ、じゃあ…切るよ?」
「はい。」
思わず指先が震える。
「ま、またね?」
「はい。」
この時間を終えるのが惜しいと思う。
「안녕~(バイバーイ)」
口先ではそう言うものの、指が震えて動かない。
途端にテヤンの表情が真剣になった。
「누나」
そう呼ばれ、思わず息を呑む。
「うん?」
何事もないかのように振る舞って見せる。
動揺しちゃいけない。
そう自分に暗示をかけている。
「꿈에서 만나요(夢で逢いましょう)」
テヤンはそう告げると、画面からいなくなった。
「僕の方がヌナのことを好きなので、切れません。」じゃなかったのか?
切れた通話画面を見つめて寂しいと感じているなんて、こんなのまるで、私の方が…認めたくないけど、恋してしまっているじゃないか。
今で言う『リア恋』勢という奴じゃないか。(私たちの世代では『ガチ恋』勢)
悔しい。
悔しいけど、心が揺れ動いているのも事実だ。
どうしてこんな時に、テヤンの震える指先を思い出してしまうんだろう。
あの50㎝ほどのテーブルを挟んで、少し身を乗り出してきたテヤンを思い出す。
表情は見なかった。
少し気恥ずかしくて、まさか、メンバーから触りたいだなんて、言われるとも思わなかったから。
ただ、彼の衣装がテーブルに乗っかって、私のお父さんだったらお腹がつっかえちゃうのにな、とあの時は呑気なことを考えていた。
でも、もしも今だったら、きっとどんな表情でテヤンが私の髪を触っているのか見てしまうだろう。
もしもその時に、今日みたいな表情を彼が作っていたら…。
私は携帯電話を抱きしめた。
体の中の酸素を全て吐き出すように、大きく息を吐く。
こんな感覚は久しぶりで、心臓が持たない。
緊張した所為か喉も渇く。
私は冷静さを取り戻すために、日常部屋を後にした。
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