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見える世界を狭くする 目の前の景色を見る

見える世界を狭くすることも、豊かに生きるためには必要なのかもしれない。今日久しぶりにTwitter(X)にログインしてそう思った。ログインするとタイムラインに移動して、問題無用で情報の嵐を浴びることになった。

どういう情報に目が行くのかを観察してみると、自分の知らない世界についてや、すごい人の情報を追いかけていることが分かった。「Twitterを見ていると、色々な情報を組み合わせて現実に存在しない超人を頭の中で作り上げていることがある」という話を聞いたことがある。すごい人の正体が何であれ、比較すると羨ましい気持ちが湧いてくる。

ブータンの幸福度ランキングが下がった理由が、国外の情報が流入するようになって隣の青い芝生状態になったからという説があるらしい。周りの情報と比較したときに、自身の相対的な立ち位置を確認して気分が変化するというのは、人間の自然な反応だと思う。自分の見聞きした情報と比較して、感情が上がったり下がったりする。比較する対象が現実的だと、比較の結果がどうであれいい気分にはならない。比べる対象のことをないがしろにしている感じがするからだと思う。

人が何かをやりたいと思うとき、そこには隠れた前提がある。それは現実的に実行できるということだ。やりたいことや欲しいものがあったとして、生涯のほとんどを費やす必要があったり、大きな費用がかかるのだとしたら、それを手に入れようとは思わない。

遠くに旅行することについて考えてみる。それは車や新幹線、飛行機に乗ることが気軽にできるようになったから可能になったことだ。空を飛ぶことや、海を渡ることに命をかけた時代があった。今がそんな状況だったらとても旅行しようとは思えない。宇宙旅行は今は限られた人しか行くことができない。しかしそれが海外旅行くらい手軽になって、知り合いが行っている状況になったのだとしたら、今年のやりたいことリストに追加されるようになるのだと思う。

比較から豊かさは得られない(と思う)。豊かさは周囲の環境ではなく、心の内側から生まれる。今という瞬間から生まれる。「本当の目的は未来にあるのではなく、今やっていることそのものが目的だ」という考え方が好きだ。今という瞬間を大事にし続けていれば、一日を振り返って満足感を感じることができると思う。一日に満足してぐっすり眠りたい。一生に満足して安らかに眠りたい。

もうご存じのとおり、二義的外部的な目的は時間の次元にありますが、主たる目的はいまと不可分で、したがって時間を否定します。この二つをどう両立させるか?自分の人生という旅全体が結局はいまこの瞬間の一歩から成り立っていると気づくことです。つねにあるのはこの一歩だけ、だからそこに全ての関心を注ぐんです。

エックハルト・トール「ニュー・アース」

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