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【書評】ゆとりを持って一瞬一瞬を味わう「今日誰のために生きる?」

感想

一般的な日本人はどう評価されるか

アフリカのブンジュ村に絵を学びに行った著者のショーゲンさんが、絵だけではなく生き方や考え方について、村の人たちと関わりながら大事なことを学んでいく話です。

ショーゲンさんは自身を「一般的な日本人とそんなに変わらない」と考えていますが、ブンジュ村の人たちはショーゲンさんを見て「いつも心に余裕がない」「焦っている」といいます。ついには「いつもここにいない人」というあだ名もつけられてしまいます。

挨拶は相手を見て心から言葉をかける

ブンジュ村の挨拶はユニークで、「おはよう、今日も空を見上げている?」「差し込んでいる光が希望に見えるね。今日は絶対いいことが起きるよ」など様々です。ショーゲンさんは、最初は村の人たちから「今日も空を見上げている?」と言われていました。これは心に余裕がないように見えていたからかけられた言葉でした。

ショーゲンさんが余裕を持てるようになったとき、挨拶は「今日は誰のために生きる?」などに変わっていきました。このように、ブンジュ村での挨拶は形式的なものではなく、相手の様子を見て心からかける言葉なのです。

タイトルにもなっている「今日誰のために生きる?」は、「私は自分の人生を生きるね」のような言葉に繋がります。ブンジュ村ではまずは自分自身を大切にすることが大事にされています。なぜかというと、自分自身が満たされてはじめて、相手のためを思った手助けができるからです。

自分が満たされていないのに行動すれば、相手のためを思った行動もトラブルの原因になってしまうことがあります。ブンジュ村の村長さんは「愛が注がれたものからしか、愛は与えられないんだよ」と話します。

ゆとりに関して

ゆとりに関して最も印象に残っているのは、二日前に一緒に食事を食べたことを忘れていたショーゲンさんに対して、村長さんが言った「食事が作業になったとき、生活そのものが作業になるから気をつけたほうがいいよ」という言葉です。

「うちの孫だってわかってたよ。ショーゲンがあの時、そこにいなかったってことは。おそらくショーゲンは、食べながら次の日のこと、1週間後のことを考えていたんだろうね」

生きるとは、心を今いる場所において一瞬一瞬を味わうことです。結果だけを求めて過程や感情をないがしろにしている状況に対する指摘が、本書の帯にある「効率よく生きたいなら、生まれてすぐ死ねばいい」という言葉なのだと思います。

考え方が村全体に広がっている

ブンジュ村で大事にされていることには、自分自身を大事にすること、ゆとりを持って一瞬一瞬を味わうこと、目の前の人と心から接すること、などがありました。人との関わり方についてはこの感想ではあまり書いていませんが、「言葉は厳しいけど行動が優しいブラウニー君の話」「思いを丁寧に伝えてみた話」「感謝を伝えるとすごいことが起きた話」など、印象的なエピソードが様々ありました。

このような豊かに暮らすための心構えが、特定の数人ではなく村全体に広がっているのがブンジュ村の特徴だといえます。しかし、これらの考え方のもとになっているのはかつての日本人の考え方なのだと、村長さんは言います。ブンジュ村の先輩は日本人だったのです。

なぜ日本人が心にゆとりを持てなくなったのか?一つの要因は価値観が「在ることから行うことへ」シフトしていったからだと思います。結果や効率を重視すれば、その過程をどうでもいいものだとみなして意識を省略してしまいがちです。忙しさに追われがちな現代人にとって、ブンジュ村の人からは豊かに生きるためのエッセンスが学べるのではないかと思います。

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