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理想の状態に在りたい | 今日の考え事(2023-12-27)

どれだけ頭の中で理想の状態に在りたいと思ったとしても、それに反する行動を取ってしまうことはしばしばある。この問題の難しいところは、行動を直接的に変えることはできない(できても一時的な変化にとどまる)ことだ。例えば、健康的でありたいと思って食事を改善したとしても、心の底ではお腹いっぱい食べたいと思っていれば、理想の状態を保つことは難しい。

考えを変えるのは、文字を消して書き直すようにすぐ出来ないことの方が多い。新しいことを繰り返し行って身につけたように、粘り強く行う必要があり、古い癖を抜くぶん変えることの方が難しい。

今朝、今にあるということについて散歩をしながら考えていた。どんな時でも今という時間の価値は変わらないことを考えていると、道の端にアレが落ちていたのを思い出して閃いてしまった。それは「犬のウンコを眺めている瞬間に意義があると感じられるか」を問うてみれば、その時の今に対する考え方が分かるということだ。

時間に追われているとき、目標を達成しようとしているとき、何かを手に入れようとしているときは、この質問にYesと答えることができなくなってしまうだろう。2024年の目標は「犬のウンコを眺めている時間に意義があると思える状態を保つ」にしようかなと思った。年明けに数年振りに中学校の同級生に会う予定があるけれど、こんな話をしたら気が狂ってしまったと思われるかもしれない。

今にあるというのは、意識があるということだ。ニュー・アースには、意識の伴う行動には受け入れる・楽しむ・情熱を燃やすの3つがあると書かれている。今日は自転車に乗ったので、自転車を例にして考えてみることにする。走っているときや自転車に乗っているときは、その道のりに人生の縮図を感じることがしばしばある。

理想の行動を取れるか、心を正しい在り方にできるかは、つらい状況で試される。自転車に乗っていてしんどい状況は、向かい風のとき、上り坂の時、体力が削られている時だ。つらい状況の時に、これからの道のりを考えてしんどい気持ちになることもできれば(=無意識)、つらいと思っている状況を観察することもできるし(=受け入れる)、前に進んでいることに喜びを見出すこともできる(=楽しむ)。情熱はちょっと分からないのでおいておくけれど、無意識の行動もできれば、意識を伴う行動もできる。

今日はどうだったかといえば、途中までは受け入れることや楽しむことができていたけれど、最後の方は出来なかった。それなりに頑張って漕いで体力を消耗していたので、ゴールが近づいた時に早く家に帰って休憩したいと思っていた。理想の状態ではなかったが、まずはそれを受け入れるところから始める。その上で少しずつ近づいていけばいい。

しかし、それでいいのだということも私はよく理解しました。そうであろうと努めながら、ついにそうであることはできない。しかし、そうであろうと努めること、それ自体が尊いのだということです。

稲盛和夫「生き方」

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