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TAKAYUKI YAMADA DOCUMENTARY「No Pain, No Gain」 映画レポート_#2

山田孝之の生き様を見た。


それはどんな言葉にも当てはまらない衝撃的なものだった。
彼は必死で自分の「人生」を模索し、常に考えて行動している。


役者には留まらず、プロデューサー、取締役、ミュージシャン、著者などなど様々な分野に挑戦していた。
私はこんなに必死に死に物狂いで生きてる人を見たのは初めてかもしれないと思う程圧倒されました。
彼はなぜそこまで頑張れるのかを「息子のため、息子を育てるため」とも言っていた。



この作品は山田孝之が30歳からの5年半を密着したドキュメンタリーになっている、山田孝之自身も言っていたが二十代は暗黒期と言っていた。子供生まれる前の二十代は「はやく死にたい」と語っている、それだけ仕事や人生に磨耗され身体や精神が疲れ切った状態にあったと思われる。


だが、それでも「役者」という仕事は続けていた。どんな状況にあっても好きなことを続けられることは素晴らしいことだと思う。

彼の強さはここにあるのかもしれない。 どんなに自分を見失っても「夢中になれること」が存在し、のめり込める事ができる。それが彼にとってそれが「役者」であったと言う事なのかもしれない。



「役者」と言う仕事以外にも彼は涙を流していた。



もちろん人間である以上プライベートで「涙」を流す事はある、しかし彼の「涙」は何か特別なものを感じる。

中でも特に印象に残っているのが「デイアンドナイト」と言う山田孝之が初プロデューサーを務めた映画の撮影中の出来事である。

安藤政信と言う俳優の演技で、もう残りあとワンシーンでクランクアップと言うところに差し掛かっていた。シチュエーションとしては相手に激情するシーンなのだが(詳しく見たい方は本編をご覧ください)ロケの現場で小さいモニター(撮影中の映像が見れる小さな画面と思ってください)を見ながら左目からつーっと涙を流したのである。
彼は「今まで役者をやって来たわけだが、現場で自分が役者以外の立ち位置で演技する人を見た事がなかった。役者とは素晴らしい仕事だ。役者以外の目線から見る事でその物事の本当の素晴らしさを知る事ができる。」(意訳)と言っていた。

正直これは我々には理解できない事だろう。
役者をやっていいてなおかつある程度のキャリアを積んでいないと到底理解し得ない領域ではないかと思う、役者においては。
しかしながら、これが「役者」と言う面を様々なことに置き換える事ができる。
例えばスポーツをやっていたものが指導者としての目線に立った時や今続けている仕事やめて外部の者としてその仕事の結果を目の当たりにした時など色々あると思う。
そこには多分、その今やっている物事に対して深く関わることによって知りたくないことが増えたり、自分がその対峙していることについての自分自身にとっての価値を考えてしまうからではないだろうか。そんなことを思い始めるようになってから視野が狭くなって自分自身を見失い、嫌になってくると思う。
恋愛においても似たような事がありそうだ。
今まで長く付き合っていた彼氏彼女と突然別れ、ずっと続いていた二人の日常が消える。だが、二人にとっては実はそれこそが幸せで当たり前の事だったのである。その日常のありがたみを失ってから気づく。このような経験をした人にとっては通ずるものがあるかもしれない。

そうやって何か目線を変え、視野を広げて見ると物事の本質の良さや魅力に改めて気づける。
だから、私はこの作品をみてたまには目線を変えて見れば今見ている景色も変わってくるかもしれないと言う可能性を感じました。


山田孝之という俳優はこれからも挑戦を辞めないであろう。
「ただひたすら人と接し行動し続ける」
彼のこの5年半のドキュメンタリーを見てただこの言葉に尽きると思う。



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