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日本国憲法第六十九条

内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

なんだって時代はこんなにも便利になっているのに、人々の不平不満や物理トラブルは増えていくのだろう。手のひらに収まる小さな画面の中で、生活必需品から娯楽まで手に入るようになった。今日だってスーパーに行くのが面倒で、初めてネットスーパーというものを利用したが、画面の中でポチポチ商品を選択しただけで、その日のうちにお肉も野菜も牛乳も自宅まで届けてくれた。私の「着替えるのが面倒」というつまらない理由だけで欲しいものが簡単に手に入るようになったというのに、配送料の330円に怪訝な顔をしていたらバチが当たる。

因みにそれらの食材からできたハンバーグとポテトサラダは我ながら良い出来で、それこそハンバーグもポテトサラダも出来合いのものを購入したらもっと安価かつ手軽に手に入るというのに、仕事もしていないし時間もあるしな、とその罪悪感を拭い去ろうと自炊をするのはエゴなのだろうか。それとも乙女心だろうか。



これまで当たり前だと思っていたことがなくなる瞬間ほど、怖いものはない。
約3週間前、TBSラジオで放送中の『エレ片のコント太郎』が終了するという報せが入ってきた。不届き者リスナーなため、大体2週間遅れくらいで聞いている故その報せを知ったのはTwitterでのことだった。
目の前が真っ暗になるとはこのことだった。まず最初に思ったことは、

“日常が侵される”

ということだった。
ラジオを聞き始めて13年。これほど日常に大きな変化をもたらしたものはない。鬱々としていた中3から高3までの期間、何度ラジオに救われたか知れない。
その中でも、ひときわくだらなくてひときわ楽しいのが『エレ片のコント太郎』だった。
エレ片を例えるとき、よく男子校という言葉がよく使われる。元々ラジオの閉鎖的な空間と共犯関係からして「俺たちにしか分からない笑い」という要素が大いにある。パーソナリティとリスナー、目には見えないからこそ、固く手を握り合って、ときには大きな声では言えないようなことを盗み聞きして、そんな風に楽しんできた。

いつしかラジオは生活の一部になり、通勤中の車の中でも家事をするときもラジオが欠かせない存在になった。もはやラジオに面白さなど求めていない次元まで来ていて、耳に彼らの声を入れたいという、それだけの欲求になっていた。
今では便利なアプリに月々の課金までしながら様々なラジオを聞いているが、13年間毎週聞いていても、やっぱり声を出して笑ってしまうのがエレ片なのだ。
男子校的雰囲気からさらに、教室の隅にいるような彼ら、これはもちろん褒め言葉なのだが、その教室の隅をぼんやり眺めながら「今日もバカだなあ」と笑ってしまう3人のやりとりは、最高以外の何者でもない。裏が強いのも知っている。少しだけ聞いていた時期もある(もちろんエレ片も聞きながら!)。だけど、手放しで笑えるこの空間は特別でなくてはならないもの。

裏が強い。並びが強い。だからこそ、面白い。
そうやってエレ片リスナーは土曜の1時を何より楽しみにしてきたし、面白がってきた。正直この並び、前後の番組を見ても飛び抜けて知名度はない。3人揃ってテレビで見たことなど一度もない。
エレキコミックも、片桐仁も好きだ。でも、何より『エレ片のコント太郎』が好きなのだ。だから、エレ片リスナーは“ラジオリスナー”でもなく、“JUNKリスナー”でもなく、“エレ片リスナー”という自負がある。恐らくだけど、私だけではないはずだ。


そのエレ片が終わる?

意味が分からなかった。Twitterに並ぶ文字を何度も見た。怖くてラジオは聞けなかった。
ここで終わらせる意味とは?と考えた。じゃあ逆に、何で15年も続いてきたんだよ、と自嘲気味に笑った。何度も枠移動をしながら、紆余曲折ありながら、それでも多くの人に根強く愛されてきた番組じゃないか。違和感のあるJUNKの布陣で、もはや違和感なく「JUNKサタデー」を守り続けてきたじゃないか。
いつかその時が、とも思っていなかった。あまりにも当たり前に存在し続けていた彼らのことを、まさかなくなるなんて考えもしていなかった。エレ片が終わるときは3人の誰かが死ぬときだと、多分そのくらいには思っていた。

恐ろしいものだ。当たり前というのは。笑ってしまうよ。

幸いなことに、翌週放送時間を縮小してこれからも彼らの声を聞き続けることができるという発表がされた。だけど、『エレ片のコント太郎」という番組名はなくなり、一旦終止符が打たれる。良かった、本当に良かった、という気持ちと、ほんの少し寂しさもある。そして、「大切なものがいつかはなくなる」という現実を突きつけられた。

何だよ、エレ片にそんなシビアな話題いらないよ。
そんな風に思いながら私は少し泣いた。

何とか解散も総辞職も免れた。これからも彼らは、しぶとく軽やかに私たちに何の役にも立たない、とびきり楽しい時間を提供してくれる。
もうこんな悲しい気持ちはこりごりだ。

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