見出し画像

愛を知るまでは死ねない私なのだ

一年に一度くらい、突如として「やっぱり自分の好きなことを仕事にしたい」という欲望が湧いてくる。
この「一年に一度」というのが多いのか少ないのかは分からないけれど、年がら年中自分の好きなことで生活していくことを夢見て、そしてそれができると信じて疑わなかった10代から20代前半の私と、夢を見る時間も心の余裕もなくなり、好きなことどころかギリギリ生きているだけの私を知っているから、多い少ないよりも「懐かしい」という感情が正しいかも知れない。

年末は30日まで仕事をし、31日は母親と出かけて3月に行われる国試の会場の下見に行った。ついでに会場近くの神社にお参りをし、ベタに合格祈願のお守りを買った。会場は絶対に見ておいた方がいい、お参りをしてきた方がいい、というのは姉の助言で、この歳になっても長女と末っ子の関係は変わらない。お節介だと思う時期もあったが、今は素直に「ありがとう」と言える。こういうときに母親を誘ってしまうところが、やはり末っ子の可愛らしさなのだと自分でも分かっている。

好き嫌いではなく、自分の選択した道を歩むことも人生においては同じくらい大切で尊いと思っている。同じように、誰かの決めた道を精一杯突き進むことや、今は何もしないと決め、立ち止まって休むことも。
ただ、夢を見ていたあの頃の自分を懐かしむとともに、羨ましくてどうしようもなくなるときがある。あの頃に戻りたいというより、本当に一瞬あの頃に戻ってしまう。

それが、2021年の大晦日、紅白歌合戦であいみょんの『愛を知るまでは』を聞いているときだった。彼女の存在も曲も、何となく知っている、テレビかラジオで聞いたことあるかも程度。恐らく一曲丸々をきちんと聞いたことはない。
どんなきっかけがあったのかは定かではない。

小さな身体に大き過ぎるとも思えるギターを担いで、大舞台で堂々と歌っている姿。
これまで大勢の人の心を動かしてきたであろう、彼女の紡いだ言葉。

色々な要素が混じり合い、私の琴線にドンピシャで触れてきた。烏滸がましいことは分かっている。だけど、その一瞬で「もしかしたら自分にも」と思ってしまったのだ。

もしかしたら自分にも、誰かの心を動かす力があるかも知れない。
もしかしたら自分でも、紡いだ言葉を伝えることができるかも知れない。
もしかしたら、もしかしたら、好きなことをして生きていってもいいのかも知れない。

今書いていて何となく分かった。
「やりたい」「なりたい」という欲望だけで生きていくことが出来ないことは、この10年で痛いほどよく分かった。それを覆すことは、多分もうできない。
「やれるかも」「できるかも」という、あの頃とは少し違う新たな感情が芽生えた瞬間だったような気がする。

新たな感情は多分、年を越さない。
2021年の終わりとともに、1月1日の仕事始めとともに、その感情は薄れていった。その感情を大切にしたいとも思うけれど、だけどやっぱり、生きていかなくてはいけないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?