「謝るなら、いつでもおいで」

2004年に起きた佐世保小6女児同級生殺害事件。
当時私は、彼女たちと同じ小学6年生だった。私だけでなく、同世代の人なら誰でもこの事件を覚えているだろう。
学校から帰宅し、自宅にいた祖母に「大変なことになっているよ」と言われ目を向けたテレビ画面には、自分も先ほどまでいたような普通の小学校と、それに似合わない上空を飛び回るヘリコプターが映し出されていた。テレビを通してでも、その異様な空気がはっきり伝わってきたのを覚えている。
夜のニュースでは、当然この事件で持ちきりだった。更に、事件発生直後に行われた殺害された女の子の父親が開いた記者会見の映像を延々流していた。

何だか、変な気分だった。怖いとか、悲しいとか、そういうことは思わなかった。
この事件を知り、まず思ったことは
「私と同い年の子が、こんな、大人がするようなことができてしまうんだ」ということだった。
自分の知らない場所で日々起きている凶悪な事件のことは、もう既に認識できる年齢だった。でも、それらの事件のほとんどは「大人がすること」であり、私たち子どもは、被害者になるか無関係でいるかのどちらかだった。
6年生になり、約2ヶ月。進級してから「最高学年」と言われることも多くなったが、あくまで小学校の最高学年。私も含め、多くの児童は身も心も子どもまだまだ子どもだった。
そんな中、「殺人」というこれまでの生活に何ら関わりのなかったワードが突然目の前に現れた。自分と同じ年の子が、その同級生を殺した。思考が追いつかなかった。

翌日には学校で集会が開かれ、先生たちも対応に追われているのが感じられた。
その後、事件の原因の一つが当時流行り始めたSNSであることも分かり、インターネットの使い方についての講義や、人間関係での悩みなどがないか等のアンケート調査が行われたりした。
自分たちの周りでたくさんの大人たちが動き、きっと当事者は自分たちのはずなのに何だか取り残されているように感じられた。そして、ふと「自分と同じ年の子が同級生を殺した」という事実だけを思い出し、脳に打撃を食らっている感覚に陥り視界がぼんやりとした。

あれから15年の月日が流れた。15年の間にも様々な事件や災害が起き、この事件も段々と世間から忘れられていった。私自身も、大人になる濃密な過程であり思い出すことも少なくなった。それでも、テレビや本で目に入る「佐世保」という言葉には、勝手に当時の記憶がリンクされた。
本著では、亡くなった少女の父親が勤めていた新聞社の部下の方が当時のことを鮮明に書き記している。あまりに生々しく、胸が締め付けられた。多分、15年経った今だから受け入れることができたのだと思う。
事件当時、小学6年生だった私は、中学、高校、大学を経て就職し、27歳になった。
遠く離れた地で、同じように歳を重ねるはずだった彼女は、12歳のまま時が止まっている。彼女の家族は、あの日から時は動いているのだろうか。

「謝るなら、いつでもおいで」
この言葉は亡くなった少女のお兄さんが発言した。
謝るなら、いつでもおいで。彼はどんな思いで言うことができたのだろう。自分の妹をこの世から連れ去った張本人に対し、どんな感情を抱いていたのだろう。想像しただけで息が苦しくなる。
少年法さえ適用されない少女に与えられた、唯一の罪を償う方法は遺族に謝ることだけだ。どんなに苦しかろうと、辛かろうと、月日が経って当時の記憶に押し潰されそうになろうと、彼女は謝り続けなければならない。それは、死ぬよりも辛いことかも知れない。それでも、生きて、謝って、苦しまなければならないと思う。
誰も彼女に罰を与えることができない。実際に罰せられないことで、罰せられるより重い「自責」というものを背負って生きていくことだろう。でも、彼女は「謝ってくれていい」という、たった一つの罪滅ぼしの方法を許された。想像に過ぎないが、遺族に「生きて欲しい」と言われているのと同じことではないかと思う。

今、このタイミングでこの本に出会えて良かった。どんなに世間から忘れられていっても、遺族や彼女が生きている間はこの事件は終わらない。それを、たった一人でも無関係の人間が覚えていることに、きっと意味はあると思う。

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