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バレエは眩しい世界

JR田町駅を降り、初めてそこに足を踏み入れたのは確か15歳だった。
明るくて広いスタジオ。高すぎる天井に美しいピアノの音が響いていた。

14歳という遅さでバレエを習い始め、初めは家の近所にあるモダンバレエの教室に通っていたが、本格的にクラシックバレエもやってみたいと思いスタジオを探した。そこで出会ったのが「スタジオアーキタンツ」だった。
平日も土日も、朝から晩まで365日レッスンを開講しており、初心者からプロまで多くのダンサーが集まっていた。その存在を知ってからは、時間があればスタジオに通う日々だった。


モダンバレエの教室は、その界隈では大御所だけど生徒には優しすぎるおじいちゃん先生が開いていた。各クラスで教えている先生たちも皆そのおじいちゃん先生の教え子でとても優しく、誰でも楽しくバレエに触れることができる環境だった。
幼い頃から習い始めるのが当然の世界の中に、骨格も筋肉もできあがった身体を持った中学生が飛び込むのは勇気がいる。それでもすぐにバレエの魅力に取り憑かれ、夢中になることができたのは先生たちやそこで習う生徒たちが新参者の私をあっという間に受け入れてくれたからだと思う。

バレエは本当に楽しかった。シンクロでは味わったことのない、褒められる喜びを感じた。
練習でも試合でも怒られてばかりの毎日だった6年間。もちろんやってたことは後悔しないけれど、今でも夢に見るほど大変な日々だった。だって、「マシ」と言われて飛び上がるほど嬉しいんですよ。

最初に「楽しい」「嬉しい」という経験をさせてもらったお陰で、バレエに対して真剣に向かい合うことができ、もっと上手くなりたいという気持ちをずっと持ち続けることができた。ずっと習っている周りの子たちに追い付きたいと、その精神で稽古をしていた。


アーキタンツは初めて見る外の世界だった。
プロの人も多く通う中で、温かく優しい世界で大袈裟なくらい褒められて育ってきた私が付いていけるのか不安だった。
だけどその不安はすぐに消えることになる。

水とタオルだけを手に持ち、スタジオに足を踏み入れると既にたくさんの人が好き勝手にストレッチを始めていた。私も空いたスペースでおもむろに身体をほぐしていく。
時間になると背の高い外国人の男性がスタジオに入ってきた。ストレッチをしていた人たちはめいめいにバーに付き、ピアノの音が鳴り始めた。
生のピアノでレッスンをするなんて初めてだった。ローザンヌ国際バレエコンクールを描いた漫画で見て以来。

先生は一切日本語を使わない。当然説明もないため、ピアノに合わせて軽く見せてくれる手や足の動きを一瞬で見て覚えるしかない。
必死だった。
バーもセンターも、とにかく集中して覚える。とにかく動く。順番を逃すとそこであぶれてしまうため、積極的に前に出る。「次◯◯ちゃん」と言ってくれる先生も当然いない。何グループかに分かれてセンターで踊るときは、鏡が見える位置を確保するため人の少ないスペースを探す。

レッスンが終わると、ヘトヘトで立ち上がれなかった。それでも、これまで体感したことのない達成感と満足感でいっぱいだった。1時間半、バレエのことだけを考え、バレエにどっぷり浸かった。

それからはアーキタンツ漬けの日々を過ごした。
今思えば高校に行って部活にも行って、土日は一日中バレエで、いつ休んでいたのだろうと不思議に思う。大学生の頃も学校、バイト、バレエとずっと忙しくしていた。
それでもバレエが大好きで、どんどん上手くなるのを実感できていくのが嬉しくて堪らなかった。ずっとこんな生活をしていきたいと思っていた。


大学を卒業すると同時に踊りの世界からは離れてしまったけれど、ずっと好きでいるための選択だった。
好きなことを好きなままでいるために、ちゃんと会社で働いて、バレエと共に過ごせる時間とお金を作ろうと思った。結果営業職と共存させるのは難しく、再開することはできなかったけれど、今通っている学校を卒業してちゃんと資格も取れたら絶対にまた始めようと思う。
本当に、それだけを励みに今頑張っている。

仕事と勉強で時間がなくても、ストレッチだけは続けているのはそのため。
あの広くて明るいスタジオとは程遠い、狭くて一人分がギリギリの部屋の中だけど。音もピアノじゃなくてYouTubeだけど。
それでも、あんなにも夢中にさせてくれた世界に再び戻るために、今は少し我慢するしかない。
お酒ももうちょっと我慢して痩せようかな…。

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