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日本国憲法第七条

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二.国会を召集すること。
三.衆議院を解散すること。
四.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七.栄典を授与すること。
八.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九.外国の大使及び公使を接受すること。
十.儀式を行ふこと。

あれ?これもうやりませんでした?と思いつつ。
昼休みに本を読もうと、というか本はいつも持ち歩いているのだけど、あまりにも眠くて弁当を食べて歯を磨くと、直後机に突っ伏して寝てしまった。


火水休みだった営業時代。旅行をすると初日の夜は必ず『セブンルール』を見ることになる。別に見なくても良いのだが、火曜の23時から放送のこの番組は、飲んで部屋に戻りちょうど寛いでいる時間に放送しているのだ。
ちょっと高いご飯を食べて、ちょっと贅沢なホテルに泊まって、日々の疲れを癒していた。よく一緒に旅行をしていた一つ上の会社の先輩と共に、ぼんやりとテレビを眺めながら「なんだかねぇ〜」と溜息を漏らした。

胸を張って「頑張っている」と言える状態ではなかった。
仕事はいつまでも終わらない。今日一日が終わらない。でも結果は出ない。出し方すら分からない。
理不尽なことが多すぎる。何をやっているのか分からない時間が多すぎる。
帰れない。休めない。しんどい。しんどい。しんどい。

残業や休日出勤、支社の成果によるボーナスにより、分不相応の給料が手に入った。自分の力で稼いだお金じゃない、という気持ちとこのくらい貰ってなきゃやってられない、という気持ち。相反する二つの感情が入り乱れ、愚痴を言うためだけの飲み会と現実から逃げるためだけの旅行に使った。
お金にしても時間にしても、学びにも、身にもならない、まったくもって無意味な使い方をしていた。だけど、その時の私たちにはこの時間が必要だった。



『セブンルール』は痛いほど胸に刺さった。
学生時代は責任を持ってアルバイトをしていたタイプだった。元来「働く」ということに真面目過ぎるほど向き合い、頑張っている自分が好きだった。
働くことの楽しさも、充実感も多少心得てはいた。

新卒で入った会社で、こんなに落ちぶれるとは。
傷を舐め合い、死んだ目で毎日出勤することになるとは。
頑張りたくても頑張れない自分が嫌で嫌で、結果が出ないことより出そうとすらしない、努力する気力すらなくなってしまったこの状況に腹が立った。

テレビに映る彼女たちはほろ酔いで画面を見つめる私たちとは真逆だった。いきいきと、日々有意義に働く彼女たちを見て腹が立ったし悲しくもなった。自分たちの姿と対比すると、情けなくて辛かった。
こんな風になるはずだった。
多少キツくても、充実した日々を過ごして清々しい一日の終わりを迎えているはずだった。それが何だ。この姿は。



10個の国事行為からこの話題に辿り着いた訳だか、今日も今日とてあまりに関連がなさすぎて笑ってしまう。
確固たる信念なんてない。意味の分からない自分ルールはいくつもあるけれど、自分でそれをこなすことで気持ち良くなっているだけだし、その呪縛に殺されそうになったりもするからただ厄介なだけだ。
先生や親が決めた、「ああしなさい、こうしなさい」といった事柄に何の疑問も持たず従ってきたタイプだった。逆らうことのない「良い子」として幼少期から学生時代を過ごしてきた訳だが、いざ社会に放り出されると途端に迷子になってしまう。

明日の時間割を決めてよ。
テストの範囲を決めてよ。
お手伝いの項目を決めてよ。

どうやら「いきいきと」過ごすためには7つのルールが必要らしいと気付いたときには、もうどうしようもないくらい無気力になってしまった。
仕事をすることも家事をすることも、目の前にあるからこなすだけで決して信念や強い意思に基づいて行なっている訳ではない。生きていくため、それだけだ。

大人は自分で自分の道を選ばなければならない。結婚や就職、どんな風に生きるかに至るまで。それは結構大変なことで、そこにさらに「いきいき」が乗っかってくるともうお手上げ。
「別にいいんだけどね」と割り切ってはいけない気がするのが20代の辛いところだ。

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