一人飲みで顧みる過去
自宅でぶっ倒れるくらい飲むようになったら終わりです。
この所やや体調が悪く、ごまかすために今日はお酒を飲んだ。
こんなやり方、間違ってるに決まってるんだけど。
お酒を飲むのも楽しいけれど、やっぱりキッチンに立つのが楽しい。初めてお酒の入ったコップを片手に料理をした。
料理といっても、コーンバターとか大根を焼いたやつとか、簡易的なおつまみ程度。
1杯目はビール。
2杯目は実家で漬けた梅酒。
次の料理を作る間に、それまで使っていた皿や飲み終わったコップを洗う。
酔っ払っているのに、この辺はちゃんとしているのが自分らしい。
そういえば、営業時代は飲み会が多く、さんざん飲んでも終盤はちゃんとウーロン茶にシフトし、必ず酔いを覚ましてから帰宅していた。
大抵一番下っ端だったため、自分の代行と他の人のタクシーを呼び、おじさんたちを起こし、お会計を済ませ、忘れ物がないかチェックして最後に店を出る。
これが営業の仕事なのかなあ、なんて思いながら。
同じく営業時代、研修旅行で道後温泉に行ったことがある。
時代錯誤も甚だしいのだが、上司の希望で座敷遊びを体験した。
上司に呼ばれ、取引先のお偉いさんに紹介されると「お前全然飲んでないな」とグラスを渡され並々と日本酒を注がれた。
「いやー、飲んでますよ!」と笑顔で応えつつ、「いただきます!」と元気に挨拶して一気に飲んだ。
緊張感もあり、全くお酒の味はしなかった。
次々と先輩や上司が潰れていく中、色んな人の荷物を抱えて2件目のカラオケスナックへ。
昭和歌謡が好きな私は、そこでも親世代のおじさまたちとカラオケを楽しみ、時には肩を組まれたり、同じ話を何度もされたりしつつ役割を全うした。
先日、姉にこの時の話をした。
「くだらない世界」と一蹴された。
私のことを否定した訳ではないのは分かっている。
若い女の子を両脇に置き、自身の武勇伝を意気揚々と話し気持ち良くなっているおじさんたちのことを言っているのだ。
でも、私は悲しかった。
少なくとも、私は当時頑張っていたし、何とか営業部の一員として認められるように慣れないお酒の場でも明るく振る舞った。
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」を歌いながら、ヘラヘラとお酌をした。
この時のことを、私は否定できない。
必死だった自分を、何とか居場所を見つけようとした自分を、蔑むことなんてできない。
父親が以前送ってくれた鰹節やお吸い物の詰め合わせの中に、鯛茶漬けが入っていたのを思い出した。
お湯を沸かし、冷凍ご飯を温める。
昔の思い出に浸りつつ、録画していたバラエティ番組を見ながら声を出して笑いつつ、これでシメ。
今日一日も、営業時代の自分も、お疲れ様。
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