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金曜の夜と8ミリテープ

ゴールデンウィークに祖母の自宅を掃除していたとき、大量の8ミリテープを発掘した。その数20本。
背表紙のタイトルには「◯◯ちゃん1歳の誕生日」「△△ちゃんお父さんとお風呂」などと一つ一つ丁寧に書かれていた。

私と姉の幼少期のテープだった。
8割方、姉の名前が書かれているのだけど、アルバムでもビデオでも下の子の分量が少ないのは生まれた時からの宿命なので諦めている。

当然再生する機器がないので、捨てようかと母に提案すると、見たい見たいと騒ぐので業者に頼んで全てDVDにダビングしてもらった。
約3ヶ月かかり、先日忘れた頃に戻ってきた。
ご丁寧にパッケージには内容が分かるような静止画がプリントされている。

とんでもなく可愛い。
私ではなく、姉が。

今も美人な姉は、身内贔屓なく子どもの頃からとても可愛かった。一方私はただただ巨大児で、20年の時を経て今標準体型になっているなんて想像もつかない。
私と姉は学年では3つ違うが、実際は2歳半しか離れていない。
映像を見ると、二人の大きさはほとんど変わらなかった。むしろ、ひょろひょろで小柄な姉と並ぶとぽちゃぽちゃとした私の方がボリュームがある。

その中に、親戚が集まってバーベキューをしている映像があった。
昔から海外出張が多かった父親は当然おらず、祖母や母、祖母の姉たちや母の従兄弟たちが集合していた。

因みに、テープの一つに「お父さんのいない2ヶ月」というタイトルがあり、日付が【〜92年5月】となっている。
私は92年6月生まれ。いや私の生まれる1ヶ月前まで父親いなかったとか、やっぱり下の子の扱い雑過ぎない?

約30年前の祖母たちは、当然皆若く溌剌としていた。幼い子どもたちを追いかけ、たくさんお酒を飲み、栃木弁で大騒ぎしていた。

面白すぎて、何度も声を上げて笑ってしまった。
うちの親戚はこぞって明るい人たちで仲も良く、田舎特有の排他的な雰囲気と団結力がある。
子どもそっちのけでわいわいと盛り上がり、好き勝手にお喋りする女性陣と、一歩引いて静かに見守る男性陣。
女性陣は全員血のつながりがあるのだけど、それも一目で分かる。

映像の中の私はようやく歩けるようになったくらいの年齢なので当然覚えてはいないが、その親戚の内輪ノリが懐かしく、全員いい歳した大人なのに大はしゃぎする姿が面白くて仕方なかった。
涙が出るほど笑っていたのは確かだが、気付いたら目から涙がポロポロと溢れて止まらなくなっていた。

今はもういない人もいる。
祖母も、このときよりずっと歳を取ってしまった。

懐かしいのか悲しいのか、自分でも整理のつかない感情が溢れて止まらなかった。
よちよち歩きだった私が、今28歳。
私や姉を囲う大人たちの中で最も若い私の母ですら、今の私より歳上。

私たちは大人になったけれど、祖母やその姉たちはどんどん年老いていく。当然母も。

いつになっても追いつかない。
いつまで経っても一番下で、全員を見送らなければならない。
私はもうよちよち歩きではないから、人が死ぬってことが分かるから、ちゃんと悲しみに暮れる。

本当は私や姉がもう結婚して子どもがいてもおかしくなくて、こんなバーベキューがまた行われて然るべきなのだろうとも思った。
姉のことは分からないけれど、私は結婚できる気がしないし、結婚できるような人間になるには何歳まで戻らないといけないんだろう、と考えると途方に暮れてしまう。

私の人生は私のものではあるけれど、私が生まれてから育ってきた中に何人もの人生が関わっている。
私も私ではない人の人生に、もっと関わらなければいけないような気がしてきた。

また今日も呑んで書いてしまった。
どうかしてる。
シメは冷凍してあった筍ご飯のお茶漬け。海苔と胡麻をたっぷりかけて食べた。
幸せだけど。これはこれで幸せなんだけど。
ちょっとしんどい夜。



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