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【スプラ戦記】スプラの危険性と効能について(前篇)

 私の文章や話は、ながい。だらだら、べらべら、ながくつづくので、忙しい人のためにサマリーを用意します。本稿で言いたいことはイカ(以下)↓

①スプラは簡単に手を出してはならない。人間の感情(怒り・憎悪)を解放させるので、プレイヤーはときに悪魔のような人間になる。私は家族の信用を失い、仕事にも深刻な影響を与えた。

②スプラは、すばらしいゲームである。プレイをしていて、歓喜の叫びをあげるときもある。そんなスプラが、教えてくれる最上のものは「ひとはひとりでは何もできない。仲間と協力せねばならない」ということ。one for ALL,all for ONE. 一人だけめためたにうまくても、どうにもこうにもならない。というメッセージがある。アツい、ヤバい、間違いない!

JJ自伝

スプラの危険性

 スプラは人の感情を解放、爆発させる。怒り、憎悪、猜疑、対人恐怖、絶望、自殺願望……などなど。

 もちろんよろこびもある。歓喜の瞬間もある。だからやめられない。中毒性が、確実にある。やばい。

 陰陽、あるわけだが、どちらかというと悪感情が増幅されることがおおい。「おい!」「コラ!」「なにやってんだよ、しぬなよう、たのむわ……」「マジでころすぞ、手前、ぜったいころす!」「うわーっ!」「クソ!」「クソクソクソッ!」「クソがあああああっ!」「死ねっ!!」
 など、大の男のおとなが、本当にこういうことを大声で言う。夜中も。

 さらに、物に当たる。机をバーン!と叩いたり、ドンドンドン!と畳や床やに、地団太を踏んだり、蹴ったり、する。私は基本的に夜、仕事から帰ってプレイするので、きほんてきには酒をのんでいる。酒をのむと酔う。私はわりと酒がつよいので、べろべろに酔っているわけではないが(べろべろだとそもそもプレイできない)酔っているのでさらに感情が増幅、奔流のように、とめどなく、放出せらるる。

 こういう状態なので、家族は当然嫌がる。いい加減にして、と妻が言う。当時小学校低学年だった息子は、私の手を掴み、もうやめて、と言う。スプラしている時のおとう(私の家族内の呼称)は、大きらい、こわい、頭がおかしい、と妻子が言う。猫もおびえて寄ってこない。

 私は謝る。謝罪。心から。もう二度と、大声を出さないし、物にも当たらない。というかそもそも、スプラはもうすっかり、すっぱり、やめる、と誓う。
 そして十数分後、寝たふりをしていた私はこっそり起きて、妻子の寝息をたしかめ、忍び足で隣室に行き、Switchのスイッチを入れる。最初は静かにプレイしている。しかし、いつの間にやらゲームにのめり込み、さきほどの誓いなどまったく忘れ果て、大声、地団太。家族はうるさくて、目が覚め……。

 なんだか書くのがいやになってきた。ひどい。

 中でも、自分でもひどいと思ったエピソード二つ……。

 昇格がかかった大事な試合。ここで勝てば昇格。負ければ地獄、また元から、イチからやりなおし。ここまで来るのに三日ぐらいかかっている。結果は負け。それも実力で負けたわけではなく、味方の回線落ちで負け。スプラ2のときは、このような鬼畜な仕様になっていた。
 私は手にした缶ビールを飲み干し、これを握り潰して、衾(ふすま)に向かって思い切りなげつけた。真夜中。大きなおおきな、叫び声を堪えるためには、こうするしかなかった。ガン、と衾に当たって缶は落ちた。飲み残しがあって、衾が濡れていた。
 ゾッとした。

 ある日、真夜中というか、未明。
 私はスプラを朦朧と、やり続けていた。何のためにやっているのか、たのしむためなのか、くるしむためなのか、目的ももうわからない。ただ、やめられないのだ。のむ酒ももうとうに無くなっている。顔は汗と脂まみれ。コントローラーを握りすぎで、手も指も、痛い。
 背後の廊下に、おかあ(私の妻)が立っていた。もう、やめて、寝て。
「おかあ、たすけて。もうやめたい」
 私はそう言って、うつむいた。
 私はアルコール中毒者ではないが、中毒者のきもちは、分かる。

 ひどすぎる……。

 この頃、新聞の投書に、自分の夫がスプラにはまり、はまりすぎて困っているという相談が載せられていた。普段はやさしいのだが、スプラをすると性格が一変、暴言、暴力をなすという。その投書者は、別居すら考えているという。これ、おれのことじゃないか、と私は思った。

 こういう生活状態なので、生活の中心はスプラになる。
 この頃私ははっきりと、家族に「おれはスプラをやるためだけに生きている。残りの一生を、スプラに捧げる」と宣言していた。

 起きてスプラ、仕事、帰ってスプラ。その合間に、家事食事風呂睡眠などを済ませる。睡眠時間はもちろん削られる。

 私は本来、睡眠がしっかりしていないと、何もかもがダメになるタイプの人間である。だから仕事のクオリティは必然的に下がる。遅刻するようになる。年休をつかって家に帰り、スプラをやる。だってスプラが本業なんだもん。そうなるさ。仕事はなげやり、なおざりおざなり、ミスも増える。始末書をかいたこともある。というか、睡眠不足だから、本業のスプラもうまくいくわけがない。絵に描いたような悪循環にはまっていった。

 というか、スプラのせいではないのだ。本当は。私は大きな、もっと別な問題を抱えていたのだ。仕事、人間関係、家庭、親族、自分の心のやみ、そのどれがどれで、どうというのはわからないが兎に角、私は本来の私の問題から目をそむけるようにしてスプラに打ち込んでいたのだ。

 目をそむけても問題は解決しない。するわけがない。むしろどんどん悪化していくだけ。

 その後私は身も心も疲れ果て、半年間仕事を休んだ。そして気づいた。自分の問題というものに。その問題はここには書かない。

 とにかく、悪いのは私だった。

 スプラは何も悪くない。スプラには何の罪もない。

本稿つづく

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