見出し画像

【2012映画感想】ニーチェの馬、雑感

 書き残したこと、あとから考えたこと。

 この映画は、神が6日間で世界を造ったという起源を逆にして、世界の終わる6日間を描いたものだそうだ。そして、タル・ベーラという監督の最後の作品でもあるらしい。

 その最後に終末を撮ったのはなぜか興味がある。といっても、監督の個人的な理由とこの映画のテーマの連関についてではない。タル・ベーラの映画を観るのは初めてだし、終末を描いた映画はほかにもある。気になるのは、この映画で描かれる終末がとにかく徹底的に終わっているからだ。

 徹底的に終わっている終末を撮る意味は何か。あのラストシーンの後の親娘の運命は、おそらく破滅だろう。そしてそれを観ているこちらの運命もほぼ同じな可能性が非常に高い。登場人物と観客たちを分け隔てなく待ち構える最終的な破滅を前にして、徹底的に終わっている映画を撮りそれを観る行為とは何なのか。

 と考えると、すべてが消えてしまうその直前まで存在しているのは意志なのではないか。記録しようとする意志、記憶しようとする意志。過酷な環境の中で、ただ食べるだけ、ただ寝るだけの生活を延々とつづけるしかない人間が終末を前にして最後の最後に頼るもの、当人だけでなく当人を囲む世界全体が依拠するもの。

 この映画はたぶんもう二度と観ることはないんじゃないか。ソフトは発売されるだろうが、家庭用のモニターではまず場が持たないだろうし、もう一度映画館で観る気にもなれない、と鑑賞中からすでに思っていた。これが最後だなと思いながら気合いを入れて観た。にもかかわらず、途中、数分ほど寝た。親娘が家を捨ててどこかに行こうとし、また戻ってくるシーン。

 YouTubeで東京フィルメックスでのタル・ベーラのインタビューを見た。身振りが大仰な勿体ぶったおじさんだった。観客の質問に答える言葉が懇切だった。

 娘が流れ者から貰う書物、あれはルターの著作なのかな。既存の宗教を弾劾するような内容だったけど。

以上、雑感。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?