【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日㉑帝王切開、役立たずの西村(医者)というか誰も何の役にたたない
スノー・ガーデン。
由希子は段ボールの空き箱に入れてきた道具類を机の上に置く。ガチャと音がする。
「JJ」と由希子。
「なに」
「ごめんだけど、切るのはあなたがやってほしい。あとは全部するから」
「え」
「おねがい」
え? キル?
「なんでよ」
わたし切れないの。中学の時、お盆の料理を手伝って、豚のブロック肉を切って。三枚肉用に。そのときに左のくすり指の、先っぽもいっしょに切り落としたの。それ以来刃物は持てない。
「いや、でも……」
それ以来料理もできない。できないよ。だって切れないんだから。
由希子の指を見る。指はある。
ビニール袋に入れて。おばあちゃんが。それで救急車に乗ったの。知ってるでしょ。小学校の時に団地の子が台風の日にドアに指を挟んで千切れて、でもすぐに病院に行って元通りになったじゃん。あれと一緒。あ、小学校はちがったわねあんたとは。
「あんた、大学のとき居酒屋でバイトして、アジを三枚におろしてたんでしょ?」
「え」
「まえに言ってたじゃない」
「いやちがう。それは。アジを刺身にしていたのはマスターで。おれはアジを生簀(いけす)からすくってシメていただけだ。鰓に指をつっこんで、首を折って氷水に漬けるんだ。その話だろう」
「何千匹もやったんでしょう?」
「うん。まあ。わかんないよ。だからなに」
「料理もできるんでしょ」
「うう……まあ一通りは」
「じゃあ、もう、あなたしかいないじゃない。じゃあナニ。この店のひとにたのむ? だれにたのむ?」
おれは目がぐるぐるした。え、おれがやるの。
いやいやいや。急に、見ず知らずの人の腹を切ってといわれて、切る人がいる? JJ、あんたがここの責任者なんでしょう? いやいやいや。ここ? こことはどこだ。JJおねがい。このままでは赤ちゃんが死んじゃう。ああ、うん。分かった。
いや。そうだよ。
「西村さん」
と、おれ。
「そうだよ。西村さん。あなた医者でしょう?」
皆の視線が一斉に海辺の窓のカウンター席に向く。西村は、見つかったというかお、おびえた顔になる。
「わ、私は病理研究が専門だから」と西村。
「いや、でも、こういう、外科的なこともしたでしょう。えっと実習とかで。大学のときに」
「いいえ。やってません」
絶対に嘘だ。そんなわけがない。いや、あるのか。全然わからない。
「できるでしょう。でも。お医者さんなんだから」
「できません。専門外ですから。臨床医ではありません」
「西村さん!」
「できないんです。ち。わ、私は血を見るのが、無理なんです。だから……」
昔は大丈夫でした。でも、解剖実習で……。死体なのに。死体なのに血が出たんです。そんなの……。そんなの無理です。
ため息。ああ、もう。現代の学問は兎角専門化細分化が過ぎる。欧米の医学は応用がきかない。舞姫。独逸語。土壇場では、何の役にも立たない。
え?
じゃあなに。ジャーナニズム。
見回しても、誰も目を合わせない。
え。おれがやるわけ?
なんでよ。
本稿つづく
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