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【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日(62)日本ハムファイターズのエース

 わたしの計算ではこの星は50年前に滅亡しているはずだった。しかしそうはならなかった。興味を持ったのはそれからだ。

 わたしはきょうみをもつと夢中になる性格だ。というか他にやることもないので調査を始めた。「私」の声を聴くようにもなった。断片的な情報。人の名前や歴史、出来事、説話や列伝。生態系や科学的な研究の結果。時系列や樹形も学んだ。

 知ればしるほど不思議な惑星であった。似てはいるが180度違う。そもそも根本にあるものが全く異なる。その特徴を漢字二文字でいうと「増殖」である。理由も目的もたしかな目標もないまま、この星の生物は増えていく。ふえようとする。とめどなく。

 なぜだ。

 当初わたしは、それは擬態ではないのかと仮説立てた。

 増えていく、ふえようとするのは擬態で、本当は数を減らすことを目的としているのだ、と。この星ではあまりにも無意味な殺し合いが多く行われる。しかも、ずっと繰り返されている。殺された者の家族や知り合いは嘆き悲しむ。それはそうだろう。

 そして、ここからが意味がわからないのだが、殺された側のひとびとが次に何をするのかというと、今度は殺すのだ。それも余り因果関係が無いものたちをころす。

 力に強弱があり、またこれもいみふめいなのだが、つよいものがよわいものを殺す。そんなことをしてなんの意味があるのだろうか。

 おそらく、この惑星の生物は自分が嫌いなのだ。非常に特殊な在り方だと思う。

 信じられないことだが、ここでは自殺という現象がある。

 これを伝えるひとたちがもう居ないことを残念に思う。この星の言葉でいうと「かなしい」。

 死にたい。消えたいという気持ちが何となく分かるような気もしてくる。

 しかし。

 かと思えば、発情期が有り得ないほどの頻度で巡ってくる。年単位や年に数回、季節、さらに人間に限っていうと発情期ではないじきは無い。驚くべきことである。

 増えたいのか、減りたいのか、あるいは矢張りふえたいのか。

 まったくもって不可解である。

 ホロ・レギオに記録したが、あるとき、戦場で殺し合いの最中、兵士(雄)と少女(雌)が生殖していた。ここのせいしょくの仕方は、わたしたちと全然違う。直接的に接触する。見ていてあまり気持ちのよいものではない。雄も雌もうめき声をあげ、苦しそうである。

 どっちなのか。どちらなのか。

 未だにわからないままである。

「私」にかつて言われた。

「救え」

 と。

 はい。と咄嗟に答えたが。

 じゃあどうすればいいのか。方法を教えてほしい。

 そもそも、生きたいのか死にたいのか。どちらなのかが知りたい。

 

本稿つづく

#連載小説
#愛が生まれた日

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