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なぜ人を殺してはいけないのか……殊能将之(ハサミ男版)

 なぜ人が人を殺してはいけないのか。『ハサミ男』の登場人物・医師は主人公にこう語っている。

「人を殺人から遠ざけるのは、ほんのちょっとしたことなんだよ。死を目のあたりにしたときの不快感、血の臭いをかいだときのいやな感じ、死体に触れたときの無気味さ、そういったごく些細な事柄だ。決して大文字の倫理や道徳ではない。そんな、何かを禁じる観念なんてものは、ごく簡単に反転し、人を倒錯した喜びに導いてしまう。タブーを犯すからこそ楽しく、逸脱しているからこそうれしく、狂っているから自分は何か他人より特別な存在だと思い込む。そういう頭の悪い連中は腐るほどいるさ」

 医師の声にはかすかに怒りがこもっていた。

「そうじゃないんだ。問題はもっと微妙な点にある。なぜ人を殺してはいけないのか? それは、人が死ぬところを見るのが不愉快だからさ。倫理や道徳とは関係ない。やさしさとも人間愛とも、同情とも共感とも無関係だ。たんなる不快感。ゴキブリを叩きつぶしたときに感じる気持ち悪さと、本質的にはまったく変わらない」

『ハサミ男』289ページ

 この本が出版されたのは1999年。当時、障害をもつ近所の子を殺害し、その生首を学校の校門に置いたS事件というのがあり(現実で)、同時代の作家たちは、この現象に対して応答しなければならなかった。上記の医師の念頭にあったのも、この事件だと思われる。

 犯人が中学生だっということもあり、道徳や倫理、教育、しつけ等についてさかんに議論が交わされた。短い引用の中で「倫理や道徳」ということばが二度出て来るのは、そういった世間に対する反発もあったのだろう。「無動機殺人」あるいは無目的殺人ということもよく言われた。

 ハサミ男は、真犯人に殺人の動機を訊かれ、

 理由などない、と正直に答えようと思ったが、痛くて声が出なかった。

『ハサミ男』321ページ

 と答えた。

 四半世紀が経って見返してみると、これらの事件は無動機でも無目的でもなかったと、私は思う。理由は「復讐」。社会とか家庭とか生い立ちとか偶然とか対象は色々あると思うが、結局南極自分への復讐だったと考える。

 殊能将之は2013年2月11日に49歳で亡くなった。今でも残念である。今でも。本当に悲しい。

◇参考・引用
 『ハサミ男』(殊能将之  講談社ノベルス 1999年8月5日 第一刷)

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#ハサミ男
#復讐

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