【掌編400文字の宇宙】暴力、言葉のやいば、どちらが罪深いのか
わたしは冷酷非道、残虐極悪の性質をもっているので、昔はよく人を殴っていた。腕っぷしはからきしだが、女子や妹、同級生の弱い男、同じぐらいの男によく手を出していた。強い男には距離を取り、罵詈雑言で応戦していた。
近年は暴力はすっかりやめたが、かわりにますます悪口が得意になった。これを言われたら、いわれたひとがどれぐらい傷つくかも分かる。致命傷、生傷、精神病、植物人間、二度と上がらない口角。
呪言。
言葉というのは光よりも速い。八年前や八年後、五千年前や八千年後からも突如としてやってきて意識に何かを知らせる。
おそらく暴力の記憶は遺伝子レヴェルに遺るとおもわれるが、言葉が遺伝子に影響するのかどうかはまだわかっていない。
螺旋構造にくらぶると、言葉はまだまだ若い発明である。わかっていないことの方がまだ多い。
言葉が生まれた時、この影響力は暴力よりもずっと大きかった。これは現在でも全くかわらない。