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京都深夜徘徊 嵐山

京都の観光地は人手が多い。賢い人なら深夜に回る。

丸太町通を洛中から西へ、自転車を走らせること30分。大通りが尽きそうなところで左手へ折れると、そこは嵐山である。JRの踏切を超えて緩やかな坂を下れば桂川へ行き着く。渡月橋がかかり、対岸には低くも急峻な山々。春には桜が競うように重なって、秋になれば紅葉の壁を作る。

昼日中は橋の上で身動きが取れないほど混雑する。法螺ではない。渡月橋交差点の信号を待つ列が橋の半ばまで詰まっていて、さらに後ろから間断なく観光客がやってくる。そこそこ青の時間は長いが、一度では渡りきれない。神はなぜあの地に信号をつくりたもうたのだろうか。

しかし阪急の終電も終わる頃には人影も見当たらなくなる。橋の袂に行けば堰を乗り越える川の音が響くが、わずか数十メートル、嵐電の駅前まで来ると静寂に包まれ水音も聞こえない。観光地の割に街灯が少なく感じるが、月が煌々と照り映えて夜でも明るく、いっそう静けさを際立たせる。

京都の深夜徘徊に自転車は必須である。終電や終バスがなくなることはさることながら、そもそも京都と自転車の相性がいい。この古都は千年にわたって徒歩と馬、せいぜい牛車を旨として造られ、自然、移動に際しては自動車やバスよりも自転車の利便性が高い。地下鉄もあまり充実してはおらず、多数乗り換えを要する。バスにしろ地下鉄にしろ、通り一遍の観光客が鮨詰めになっている。自転車移動の欠点があるとすれば、放置自転車の撤去が盛んであり、市が委託している回収業者が「窃盗団」とまで揶揄されるほどだが、いくら撤去作業に熱心な業者も日付が変わる頃には鳴りを潜めている。この時間、京都は自転車の独壇場である。

しかし嵐山には、自転車で徘徊すべしと言うに足る、個別の理由が別に存在する。

丸太町通をそのまま進んで坂を登り、行けるところまで行くと小倉池、御髪神社に突き当たって、左手にトロッコ嵐山駅が現れる。この時間だとあまりの暗さに駅であるかすら判別が難しい。断定するように書いておきながら、筆者も地図でしかその存在を確認したことがない。線路を越えれば街灯も皆無となっていよいよ暗い。意を決して闇を分け入ると、影を作るほどに照り輝いていた月の光が完全に遮断され、丈10メートルはあろうか、道へ迫り出すようにしなった竹が天を覆い隠す。自転車でこの道を進むと、ライトが丸く照らす地面があまりに明るく、砂利道の石粒がくっきりと輪郭を浮かび上がらせる。ライトが照らす範囲外は明るさに負けて真っ暗となる。臆病風を吹かせて足を止めるとライトが消えて一切の光が絶える。先の見えない悪路をわずか1メートルばかりの光の円を頼りに進まなければ、この闇を出ることはできない。

突如としてT字路が現れる。筆者が初めてここを訪れたときは、地理がわからずついに立ち止まってしまった。光が絶たれ、竹林を揺らす風の音だけが四方を囲んでいる。少なからぬ恐怖も相まって自然への畏怖を感じられる。何も見えないT字路へ向けて写真を撮った。フラッシュが竹林の手前下半分だけを白く照らし、どこまで続くかわからない道が黒々と闇の中へ消えている。見返すたびに、むしろ幽霊でも写っていた方が自然な気がしてならない。

T字路を道なりに南下すると、前方竹藪が切れて明るい夜空が広場を照らしている。嵐山公園である。街灯の少ない夜の公園だが、このときばかりは安心した。右手には保津峡の流れ、左手には遠く洛中の夜景。前には踏み固められた芝生が広がり、後ろを振り返れば出口のない暗闇が喉口を見せている。

公園は斜面を切り拓いて造成されており、坂道が月光の中を下っている。途中木陰が伸びて頭上を覆って視界を暗くするが、さきの竹林に比べれば恐るるに足らない。階段を降りると保津峡下りの船着場に出る。三条通の西の端。数十メートル歩いて最初に行き着く交差点こそ、人が消えた渡月橋の袂である。

春も盛りになった頃であれば、少し頑張って日が出るまで粘ってみよう。渡月橋をわたって川の音を聞きながら朝を待つと良い。盆地を挟んで東山の裏から刻々と、黒、藍、紫、紅、黄、白と背景が移り変わっていく。清少納言が描いた景色をそのまま鑑みることができる。またあくびなどしながら、ほの明るい丸太町を東へ帰るのも趣がある。


知人が始めると言っていた文芸誌に載せるため書きましたが、頓挫したようなのでこちらで供養します。お前のことだぞ、ガースー。

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