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山陰18きっぷ旅

第1日

京都駅を7:30ごろ出発。18きっぷ旅にしては遅めの出発ですが、これより早い出雲への電車がありません。当初、初日の間に出雲を回ろうと考えていましたが、京都駅直前で山陽回りルートが運休していることを発見。中国山地の只中で安宿を探すのは流石に厳しいので、急遽山陰回りで出雲を目指します。

電車は終着まで乗るものとして旅程を組むと、

  1. 園部

  2. 福知山

  3. 城崎温泉

  4. 浜坂

  5. 鳥取

  6. 米子

  7. 出雲

で順次乗り換えになります。城崎温泉から鳥取は直通する電車があるものの、当日は時間が微妙だったのでこのルートを取りました。

玄武洞 (城崎温泉)

城崎温泉は過去回収しているので、街中はあまり真面目に回りません。そういえば近場に玄武洞があることを思い出し、城崎温泉でレンタサイクルを借りて向かいます。2時間¥800は高え。

玄武岩の命名の地として記憶していたのですが、見事な柱状節理の方に目がいってしまいます。

かつての地学徒ですが風景としてあまりに珍しく、ついスケールを忘れてしまいました。

スコリアなど火山砕屑物も点在

浜坂

兵庫最北西の温泉街です。当日はそんなこと知らず、書いている今調べて知りました。乗り換えまで40分ほどで、散歩しかできない絶妙な時間です。写真はありません。

駅前から海へ至る道には十数軒に1軒ほどの個人商店しかありません。それ以外は全て田舎の住宅。とはいえ潮風を受けてか田畑もあまりなく、この土地の仕事が見えません。このときは車で鳥取や城崎へ稼ぎに行っているのだと推察しました。

この辺りの車は全て姫路ナンバーです。中国山地をはるか超えた瀬戸内の名前を使っているのを見て、ちょっと悲しくなりました。いえ、「新温泉町の誇りを!」とかいうのではなく、都市へのアクセスの悪さがこのような形で可視化されてしまうのは、見ているこっちが惨めな思いをしてしまう。

海を眺めて駅へ帰る途中に、せめてもの救いがありました。加藤文太郎記念図書館です。街の規模に比べ、かなり大きな公共図書館です。自然で遊ぶ以外の日々の過ごし方が用意されているのを見て、部外者ながら安心しました。傲慢ですね。

鳥取

鳥取砂丘へ行こうと思っていましたが、地図の「目的地まで20分」が車移動のものであることに気づかず、結構歩いて断念しました。日本一人口が少ない県とはいえ、かつての城下町。商店街もまだ生きているのを感じられます。

城跡の学校には並々ならぬ憧れがあります。この地方の歴史に立脚した学校へ通う誇りといいますか、nobless obligeを伴う貴族意識を醸成する非常に良い環境ではないでしょうか。

また片手に収まる程度の旅の経験から、城下町は絶対に廃れないという確信があります。鳥取はこの先も安泰でしょう。

米子

駅前のモニュメントが印象的でした。着いたのが21:00過ぎとかですし、乗り換えも30分ほどでしたから、駅前以外に散策はしていません。

出雲市

22:00頃、終電1本前に到着。

この時間でもやっている蕎麦屋があります。なんと25:00までやってるとか。

小さい桶にそばが入ってて、梅雨をかけるのが出雲そばの特徴

快活が駅から数キロ離れた国道近くだったので結構歩きました。ただ平成型の国道の景色で、深夜でありながら生活が良く見える景色でした。

第2日

出雲大社周辺1

始発を5分遅れで逃し、7:00すぎ電鉄出雲市を発車して出雲大社へ向かいます。駅を降りたらまずは南へ。旧大社駅が文化財として保存されているので見に行きました。

修理中のため全く見えませんでした

気を取り直して道を戻ります。

一鳥居

出雲大社

出雲大社はブラタモリに従って歩きます。

神社へ降る
三円は往時の巨大神殿を支える柱の太さ

かの有名な大七五三縄は拝殿のこいつか〜あんま大きくないんだな〜と思っていました。その後神楽殿で本物を目にすることになるのですが。

出雲大社周辺2

神楽殿から南へ降ると出雲そばの店が数軒並んでいます。

出雲そばは久しぶりに美味しいそばでした。西日本もちゃんと蕎麦作れるじゃないですか。

海へ向かって歩く途中に出雲阿国の墓があります。

周りも一門の関係者の墓が並んでいた記憶があります。出雲阿国って派閥組むような人だったのか?

浜辺へ出るとこんな感じ。

次の電車まで時間が余っているので博物館の企画展へ。最終日だったようです。

昼前に出雲市を出て、大阪へ着いたのが21:00前。東海道線なら京都から東京まで行きます。なかなかアクセス悪いですね。まあ鈍行で行っているのが悪いのですが。

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