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【読書記録】「ぼくたちの洗脳社会」岡田斗司夫

1995年にしてブログ上全文公開を行い、しかも世情が大きく変容した現代においてもなおその新鮮さを失わない名作。今となっては作者自ら「評価経済社会」と名前を変えて喧伝している思想であるが、その内実はここに書かれていることと全く同じである。

農業革命・産業革命に続いて現在起こっている情報革命を論じる文章は、概してその技術的側面ばかりが注目され、技術革新に伴い生じるパラダイムシフトを掴みきれていない。むしろモラトリアムの変容こそが社会を大きく変革する。これまでも農業革命による狩猟社会から農耕社会、科学技術の発達でもたらされた中世・近世から近代と、世界規模の大きな時代区分は技術革新よりもそれに伴うパラダイムと社会構造によって分類される。そして今まさに、マルチメディアの普及によって近代の合理的・科学的根拠を求める社会通念からの変革が起こりつつあり、その向かう先が洗脳社会だというのだ。

ここで述べられている洗脳社会の「洗脳」とは、必ずしも五円玉を振り子にしたり意識しても気づかないような音を曲に入れたりすることを意味しない。本書では次のように例示されている。

例えば子どもが崖っぷちに向かって走っていこうとしているのを見つけた親は、「危ないよ!」と声をかけます。
「危ない」ことを伝えたいのではありません。
「行っちゃダメ」と止めたいのです。言葉だけ聞くと「危ない」という「意味を伝達」しているのですが、実は「行っちゃダメ」という「意図を強制」しているわけです。

本書「メディアの本質」

この意図を強制する発信力がマスメディアだけでなく万人に広がったことによって、数々のパラダイムが変容してきているという。この社会では洗脳によって他人に良い印象を与えることができた者が、近代社会の金持ちに相当するポジションを得ることになる。最たる例がディズニーランドだ。アルバイトはブラックだと名高いが、なおも応募者に困ることはない。これこそディズニーランドの持つイメージの力である。

そう、洗脳社会の幕開けは前世紀すでに始まっていた。なんなら私は生まれていない。もはやこの流れは誰にも止められず、我々はときに受け入れときに抗いながら翻弄されるほかない。その力たるや、凄まじいものがある。

科学は死んだのです。

同書「再び科学は死んだ」

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