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本を読むように生きるとして、栞を挟むように外来する

学生のとき、婦人科の実習で、ちょっと怖いけど人気のある指導医に
「お前たちにとっては入院患者を診ることなんて日常になるけど、患者さんにとってはどんな入院でも、長い人生の中の一大イベントになる」と言われたときの気持ちを、ずっと大事にしている。

私は医師1年目のときから勤め先の家庭医療科に外来枠を持っていて、週に1回、午後の3時間ちょっとで大体12人前後の患者さんを診ている。専攻医なので、一人あたりの時間は比較的長めの20分もらえている。
患者さんのほとんどは2-3ヶ月に1回来るので、1年目のときからの付き合いの人たちとは10回以上は会っている。学生時代にサークルなんかでちょっと仲良くなった人よりもよっぽど付き合いがある、と思える人もいる。

外来では、入院のときよりも患者さんは「自分らしさ」を発揮するように感じる。
患者さんによっては、私に診療の全権を委任したいひともいれば、逆に本人の思う通りに私を動かそうとするひともいる。時にクライアントとアドバイザーの様な関係が築かれ、時に不摂生なおじさんとそれを案ずる娘の様にもなる。
患者さんの普段の姿をイメージしながら、高血圧であれば高血圧の、腰痛であれば腰痛の、診療のゴールを一緒に決められるようなやり取りができるようになりたいと、毎週思いながら予習し、彼等を待つ。

外来がやりたくて医師になり、家庭医療を選んだので、外来枠が保証されている今の仕事がすごく楽しい。
私にとって外来は、医師としての毎週の定期テストの様であり、楽しみでもある。

では、私の患者さん達にとって、私の外来に来るとはどういう意味を持つのだろうか。

本人も医療従事者であるという30代男性が、コレステロールが高いと健診で言われて受診した。以前も当院に来ていたが、半年くらいでなんとなく通わなくなった、という経緯もあった。
最初の外来で、「この人は医療者だし、若いし、あまり頻繁に通って、毎度食事などについてうるさく言われたくないだろう。年に一回の健診で進捗を確認すればいい、と思っているくらいではないだろうか」となんとなく思っていた。

3ヶ月に1回の外来も3回目になったとき、私の方から
「食事と運動を気をつけて、次回の健診結果で成果を見るくらいでもいいですよ」と提案した。
すると、「いや、励みになるので、3ヶ月に1回は来続けたいです」と言われた。

初期研修も終わる頃で、健診で脂質が高め、と言われて来た人を何人も診ていた。「自分でがんばります」と1回の面談で終わる方も多い中で、なんとなく「若くて忙しいひとは私の外来に期待していない」と思ってしまっていたのだった。
恥ずかしくもあり、情けなくもあった。若い人の不摂生を診るにあたって、自分の外来に期待していなかったのは他ならぬ自分だった。

今でもその30代の患者さんは、3ヶ月に1回、数値を見て一緒に目標設定と振り返りを続けながら、薬を始めることなくいい調子で来ている。
私はそのひとの食事・運動療法をサポートしているだけだが、健康を維持する1人のチームメイトになれていると感じる。

ひとの人生が1冊の本であるならば、例えば命をかけた大きな手術を受けるような入院は、そのひとにとって1つの章を占めるような一大イベントになるだろう。

外来は、そんな大げさなものでもなくて、でも主治医として、そのひとの生き方や健康を大事にした生活の中での大事な一部でありたい。
そして、がんばれないとき、治療目標が分からなくなったとき、誰に相談して良いか分からない困りごとが起こったときに、私のページが1枚でもあったらそこを見返して欲しい。

私は、毎回でなくても、目の前に座るひとの本に、押し付けることなく、でも控えめすぎることなく、ささやかな栞を挟むように外来をしていきたいと思う。

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