見たくないものは見ないという選択

最近憂鬱な状況から抜け出したと思ったのに、気が付いたらまた気力のない自分がいた。

悪口を言われたわけでも、頭をどこかにぶつけたわけでも、何でもない。気が付いたら気力がなかった。でもなんとなく原因はわかる気がする。

見聞きしたくなかったものを見てしまったのだ。

ずっと見たくて見たくてでも最終話が出るまで見るのを我慢していたドラマがあって、いざそれを見始めたらものの数話で見る気を失ってしまった。俳優さんたちの演技はとても上手だった。だけど展開が分かるくらいに典型的なドラマだった。しかも恋愛ストーリー。タイトルをみて狂ったドラマを求めていた私にとって、想像と違う平凡なドラマだったことも見る気を失った原因だったけど、ラブストーリーだったことが私を憂鬱にさせた決定打だった。

私にも王道ラブストーリーを見たくなる瞬間はあるんだけれど、これはとても個人的なことなんだけれど、国を越えた遠距離恋愛の最中、コロナのせいでいつ会えるかもわからない、そんな状況でたとえドラマとはいえ他人の恋愛を覗きたくなかった。

見たくないものを見ないという選択は悪か?

今思い返してみれば私が友人の幸せを喜べたことはなかった。インスタで楽しそうにしてるのを見たり、TwitterのTLに惚気話やいいねがたくさん集まってる恋愛話が流れるたびに気分が悪くなった。常に他人を羨んだり嫉妬していた。そんな自分でいるのが辛くて辛くて、ミュートをうまく使いこなした。Twitterに関しては見ると自分が嫌いな自分になってしまう可能性のあるワードを徹底的にミュートワードに設定したし、Instagramに関しては芸能人以外のアカウントをミュートにした。見たくないものは見ないという選択をしたのだ。そうすることで気分が悪くなることも、嫌な自分を見て気を病むことも随分と少なくなった。

わたしは単純に自分が満たされてない。いつかコロナと共存できるようになればこんなに気を病むこともないだろう。だからそれまでは生きているだけでよくやってるよと自分を励ましたい。

それでも推しの幸せだけは心から願ってる

でも不思議なことに芸能人や、推しの幸せは心から祝福できるし、願ってる。いつか推しに熱愛報道が出ても私はその恋愛を応援したいし、いつまでも好きでいる。だって私の想像もつかないほどの努力をしている彼らだから、心の支えになってくれる素敵な人がいるなら幸せになってほしいと願うのは当然だと思う。

今は憂鬱な状況から抜け出し元気とやる気でいっぱいだけど、気をつけていても鬱になることはある。だから無理しないのが私のモットーだ。情報収集は大事だからできるだけ多くの情報に出会えるようにSNSをやっているが、自分が見たくないものは見なくて良いと思う。皆さんも自分にあったSNSの使い方をみつけてくださいね🌻





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