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カウンセリングの神様(その②銀座編)

おそらく人生で最初で最後となるだろう、銀座8丁目の夜。大人のテーマパークに踏み込んだぼくは、糸島半島へのポータルをくぐることになる。

1.決まらないのは仕事じゃなくて

大学院を卒業後、しばらくフリーターをやっていた。卒業の年に臨床心理士の資格は取れたものの、なかなか就職が決まらなかったぼく。正確に言うと決まらなかったのは仕事ではなく、ぼくの腹だった。

大学院のほかの仲間たちは、資格取得を前提として就職活動をこなし、周到に就職先を決めてきた。ぼくはというと、自分に相談業務が務まるのか最後の最後まで疑わしく、専門職として生きていく決心がつかないまま卒業を迎えてしまった。

言い訳みたいだが、大学院を出た有資格者とはいえ、臨床心理士は非常勤として雇用されることも多い。そもそも4月にきっちり就職せねばならぬという動機づけが薄かったように思う。

ぼくは、研究室の助手のようなことをしながら自分の腹が決まる瞬間をひそかに待ち構えた。

2.生まれて初めての銀座8丁目

学部を出てすぐにテレビ局に就職した伊澤は、就職3年目にしてかなりの年収になっていた。同期入社のほとんどが3年以内に外車を購入するとか、芸能人の誕生日パーティーに招かれるとか、ゴルフ仲間の著名人からゴルフバッグを譲り受けたとか、ぼくの乏しい想像力が及びようのない華やかな生活を送っていた。

伊澤=大学時代のぼくの友人。

どこまでも地味で自信のないぼくと、どこまでも華があって自信にあふれた伊澤。学生時代から、ぼくらに共通点を見出せる人は少なかったと思うが、卒業後も伊澤は変わらず、冴えないぼくを気にかけてくれた。

あと数日を残して7月になろうとしていたある日、伊澤の誘いにより、ぼくは生まれて初めて銀座のクラブに足を運ぶ約束をした。生まれて初めてと言うなら、銀座8丁目を歩くことすら初めてである。

当時、アルバイトによる微々たる収入しかないぼくは、『銀座』のしかも『クラブ』と聞いて慄いたが、伊澤は夏のボーナスで奢ると言って聞かなかった。やつの本当の目的は、接待のときに出会った銀座のクラブの女性に、もう一度会いに行くことだったのだが。

ぼくらは新橋駅で待ち合わせ、昼間の熱気を残したコリドー街で軽く飯を済ませた。伊澤のお目当ての女性がいる店は、銀座8丁目の並木通りに面したビルの中にあった。

大小さまざまの飲食店が連なる並木通りを、薄くて光沢のあるドレスを纏った、ホテルのフロントにある生け花のような髪型の女性や、頭に饅頭でも仕込んでいるかのような髪型の女性が、細いヒールを鳴らして闊歩する。

もの珍しそうにいちいち釘付けになっているぼくに、伊澤が解説する。

「水商売専門の美容室があるんだよ。楽屋みたいになっていて、ずらっと並んで髪の毛をセットしてから出勤するんだよ。同伴があるときは自分でセットして出勤することもあるし、ものすごく稼いでいれば、ご指名のスタイリストを依頼している場合もあるってさ」

ぼくには、まったく用事がない場所と文化だ。あまりに異文化すぎて、好奇心と疑念のはざまで脳みそがはげしく高速シェイクされる。

ーあんなに細い肩ひもでドレスを吊っているんじゃ、裾を踏んだら肩ひもがプチンと切れやしないか。裁縫セットは必携だろうなあ。

ーまさか仕事が終わったら、あの格好のまま電車に乗るのか。あの髪と化粧と薄いひらひらドレスじゃ、めちゃめちゃ浮きまくるな。電車説は却下。

ーじゃあ、やっぱりタクシーか。タクシーに乗るとき、頭が天井に引っかかるなんてのは日常茶飯だろうな。

ーあんなに不自然に髪の毛を盛っているのはなぜだ。もしかして中に護身用のナイフとか、ネタとしての飴ちゃんを隠しているのだろうか。

余計な心配と妄想が止まらない。

3.銀座8丁目に糸島半島へのポータルが出現

同級生の中でもかなりの高給取りの伊澤は、私服もぱりっとしていて物腰にも余裕がある。しがないフリーターのぼくは、いつもどおりのシャツにチノパンといういでたち。これでも、ぼくが持っている服の中ではできるだけくたびれていないのを選んだつもりなのだが。

陽が沈み、魔法の粉でもかけたように煌びやかな匂いを纏いつつあるこの街では、ぼくは確実に浮いている。それだけは、はっきりしている。

「ねえ。ぼくは店の中に入れてもらえるのかな。お供の人は外で待機を、とか言われるんじゃないの」

伊澤はまったく気にも留めない様子で、無邪気な笑顔を見せる。
「大丈夫だって。一見の客じゃないんだし、指名した女の子にも連絡は取れているわけだし」

ぼくの心配はよそに、ぼくはお供の人ではなくお客様として店内に迎え入れられた。伊澤のお目当ての女性が席に着くまで、別の女性が相手をしてくれるようで、二人の女性が黒服の男に案内されてきた。

ーこうやって指名の客を焦らすんだな。なるほどね。

一人は薄いピンクと白の透け感のある生地を重ねた短めのふわふわドレス。もう一人は沖縄の海のようなターコイズブルーの、つるりとした生地感のロングドレス。一筆書きで描けそうな潔いデザインだ。

ふわふわとつるりの二人は、ぼくに向かって一斉に名刺を差し出した。戸惑いを隠せないぼくに、伊澤がささやいた。

「新規の客に名刺を渡すのは、つまり営業なのよ。受けとってあげればいいから。俺は指名の女の子がいるから、それを差し置いて名刺は渡せないっていう暗黙のルールみたいでさ」

(ようわからん)

ぼくの隣には、ターコイズグリーンのつるり生地が座った。わりと普通っぽく清潔感があり、なぜかひんやりした質感の女性だ。

店での名は「澪(みお)」というらしい。当たりさわりのない会話を始めて数分も経たないうちに、伊澤の指名した女性が黒服の男にエスコートされてやってきた。すると「澪」が席を立とうとする。

ーぼくとしては、普通っぽさを残した、この感じがとても安全なんだけど。

その気持ちが伝わったのか、伊澤が助け船を繰り出す。

「指名にすれば、席に残ってくれるよ」

ー初めて訪れたクラブで、初めての指名。そもそも指名ってなんだ。追加料金がかかるのだろうか。

その心配も伝わってしまったようで、伊澤が心配すんなという表情でゆっくりとうなずいた。指名をしないかぎり、一定時間で女性が交代していくシステムのようだ。伊澤の配慮のおかげで、普通っぽさを残した「澪」と朴訥な会話をしていればいい状況を、ぼくは手に入れた。

「澪」は、昼間は社会福祉系の大学に通っており、学費を捻出するために夜はここで働いているのだと教えてくれた。学生と聞いて、一気に安堵感と親近感がほとばしる。

ぼくは、大学院を卒業したのに就職できていない自分のこと、専門職として生きるための通行手形を得たのに肝心の腹が決まっていないことなど、けっこう情けない現状を正直に話した。

小一時間ほど話した頃、それまでわざとらしいリアクションもせずに、ふんふんと聞いていた「澪」が妙な提案をしてきた。

「あの、変なことを言いますけど。木梨さん、福岡まで行ってみませんか。人生で一回だけしか会えないヒーラーさんが福岡にいるんですけど、どうでしょう」

ー困ったな。どうも、何かおかしな雲行きになってきている。世間知らずのぼくが清純そうな「澪」に不用意に心を開いたばかりに、もしかして何かのカモになろうとしている歴史的瞬間なのではないか。

ー彼女の目的は何だ。壺か、パワーストーンの数珠か、ネットワークビジネスか、それとも高額のセミナー勧誘か。それくらいは、さすがのぼくも知っている。怖いなあ、怖いよ。これが夜の街なのか。

ケツの穴と毛穴を引き締め、これ以上アルコールに飲まれないように警戒モードに入るぼく。

「そうですよね。怪しいですよね。ただ、その人を紹介したところで、私には特にメリットはないんです。その人に会ったのは一回きり。その人を紹介しようと思ったのも木梨さんだけ。そもそも、私も一人だけしか紹介できないんですよ」

「澪」自身も、ある種の困惑した表情を浮かべていた。なにか事情があるのかもしれない。これもいつか、カウンセリングのロールプレイのネタになるかもしれない。騙されないぞ、踊らされないぞと覚悟を決めたぼくは、聴くモードに素早くギアを変えた。

「澪」は、知っていることはすべて話してくれた。事情はこうだった。

ヒーラーは、福岡県の糸島半島に住んでいる。
ヒーラーは、女性である。
ヒーラーの年齢は、誰も知らない。
ヒーラーは、職業的看板を掲げていない。
ヒーラーは、積極的な営業活動をしていない。
ヒーラーは、紹介者を介して依頼者と会う。
ヒーラーとは、一生に一度しか会えない。
ヒーラーは、「門の才」をもつ人の案内役。

「澪」も別の人から紹介を受け、ヒーラーに会いに福岡県の糸島半島まで行った。彼女も半信半疑だったが、紹介を受けたときから、なにか無視することのできない力が動いているように感じていたという。

実際に会うと、事前情報はほとんどなかったはずなのに、なぜか糸島半島のヒーラーは「澪」のことをよく知っていたのだとか。自分の使い方、活かし方について、まったく忘れていたことを思い出させてくれたそうだ。

ヒーラーと対面した人は、同じ「門の才」をもつ人と出会った場合、ヒーラーを紹介することができる。ただし、紹介も一生のうちに一回だけ。

「ああ、変な汗かいてきちゃった。話せば話すほど、怪しいスピリチュアルの話ですよね。絶対に損はさせませんって言いきっても言わなくても怪しい。そもそも会ったばかりの女が銀座のクラブで話している時点で、すでに得体がしれないですね。でも、ぼったくりじゃないので安心してください」

苦笑いを浮かべる「澪」。

騙されまいとケツの穴と毛穴を引き締めていたぼくだが、彼女が嘘を言っているようには思えなかった。正直なところ、早くも警戒心は解け、ケツの穴も毛穴もゆるみはじめていた。

「でもさ、なかなか面白い話だと思うよ。実際にぼくは、これからの生き方について迷っているわけだし。君の話が本当だとしたら、君にも『門の才』ってものがあって、ぼくにもあるってことでしょう」

「そうなんです。こういう話は、相手を選びます。『門の才』をもつ人は、すごく生きづらいんですって。生まれてから大人になるまでに、自分の使命や才をすっかり忘れるくらいもみくちゃにされる人生みたいで。傷だらけで擦り切れてボロボロになって禊を終えた頃に、ちょうど案内役がお役目を伝えるようになっているって話なんです。こんな話、信じますか」

「澪」は、今度は声をあげて笑った。
ふつうの、どこにでもいる女の子の笑い声だった。

「ここは、大人のテーマパークみたいな街だね。ぼくは、たまたま迷いこんでしまったけど、一生に一回くらいは夢をみながら不確かなことに身をゆだねてもいいのかもしれないって気分だよ。あのさ。参考までに、どうして君がぼくにヒーラーを紹介するつもりになったのか教えてくれないかな」

「澪」は、言いにくそうに眉を寄せる。

「木梨さんは、眉間がポイントだと思います。『門の才』がある人は、アンテナにあたるところを開けたり閉めたりできるんです。かなり大きく広げて保持することもできるんですよ。今日、お会いしてすぐにわかりました」

息継ぎをして、「澪」はつづける。

「実は私、卒業までの学費が貯まったので、今日で銀座の仕事はおしまいなんです。もともと、こんな場所にはそぐわない人間ですしね。木梨さんも、そうです。なのに最後の出勤日に出会ってしまったんですよ。これはもう、伝えるべき相手ではないかと」

そのときぼくは、すでに決めていた。糸島半島に行き、ヒーラーに会うことになる。それ以外の選択肢はない。

「どうやったら、その人に会えるの」

「澪」は、名刺の裏に糸島半島にある神社の名前を書いた。

「申し訳ないんですけど、その方の詳しい住所はお伝えできなくて。ここの神社に向かう坂の下に小さな公園があります。その公園の赤いブランコに、朝11時までに座ってください。そうすればお迎えが来ます。ちょっと不便なところなので電車とバスの乗り継ぎ時間を調べて、必ず午前中のうちに」

「連絡先は、ないのかな。道に迷ったり時間に遅れたりさ。飛行機が飛ばないとか、ぼくが事故に遭うとかいうこともあるし」

「連絡先は、今の時点では教えられないんです。ヒーラーさんに無事に会えたら、今度は木梨さんが誰かをご紹介なさるときのために連絡手段を教えてもらえます。私は、木梨さんに情報をお伝えしたことをヒーラーさんに連絡をしますけど、木梨さんはご自身のタイミングで尋ねてもらっていいみたいです」

意味をはかりかねるぼく。「澪」は、まるで本当に伝えるべきはこれなのだとばかりに真顔で言葉を継ぐ。

「会える人は会えるようになっているし、会えない人はいつまでも会えないようになっているらしくて。もし会えないとしても、ヒーラーさんは了解されているみたいです」

つまり、整理するとこうだ。

普段のぼくなら絶対に縁のない銀座のクラブにたまたま足を運び、学費を自力で捻出するフロアレディに出会った。ぼくが現れるのを待っていたかのように、今日が最後の勤務日だと言う彼女。

彼女は、『門の才』について詳しくを知るべきだと言って、糸島半島のヒーラーに会うことを勧めてきた。ぼくは飛行機と電車とバスを乗り継いで、目印となる場所に時間指定で向かうのだが、ヒーラーに会える保証はなく、緊急連絡先もない。

まさか、伊澤につき合って足を踏み入れた銀座で、糸島半島へのポータルが開くとは。これが本当なら、とんでもない話だ。

「木梨さん、龍は好きですか」

「ヘケッ」
唾も飲み込まずに状況を整理していたぼくは、質問に反応しようと急に息を吸いこんで、変な声を出してしまった。

「糸島半島ってね、龍の頭みたいな形をしているって言われているんです。私は、龍っていうよりタツノオトシゴみたいな形だなって思うんですけど」

「へえ。面白いね。龍は嫌いじゃないな。蛇も、タツノオトシゴも、チンアナゴも、ミミズも。長い体を自在に操れる生き物は、無条件に尊敬するよ」

4.ご縁のたすきを受け取る

店を出たぼくと伊澤は、すっかり夜の帳が下りた並木通りを新橋方面に歩きながら、軽く食事ができる店を探した。腹を満たして店を出たのは、午前1時をまわっていた。

テレビ局勤めで港区のマンションに住む伊澤は、こんな時間にタクシーで帰ることも珍しくないようだ。慣れた足取りで、銀座ナインの脇を外堀通りに向かって歩く。

高速道路の高架下に差しかかったときの衝撃を、ぼくは決して忘れることはないだろう。あんなに心底ぎょっとすることは、そうそうないと思う。

ものすごい数の女性たちが、高架下にひしめきあっているのだ。こんなにたくさんの女性が終電に乗り遅れてしまったのか。それとも今日は、何かイベントがあったのだろうか。

またしても、ぼくの異変を察した伊澤が笑う。
「この時間帯は、毎日こうだからさ。クラブの女の子たちを自宅まで送る専門のドライバーがいるんだよ。送りの車を待っているわけ。あんまりじろじろ見るなよ。彼女らも、私服に着替えたらオフにしてあげないと」

どこまでも、どこまでも。
大人のテーマパークは奥が深い。

伊澤は見るなと言うが、それは無理な話だ。ぼくは、今日を最初で最後に、この時間帯の銀座8丁目に来ることはないだろう。今日一日で、このテーマパークを味わい尽くさねばならないのだ。

ぼくは、無意識に「澪」を探した。ほとんどの女性が、ひらひらのドレスから私服に着替えてはいたものの、髪型や化粧は水商売を思わせる。

その中に、ひときわ地味な女性が目に飛び込んできた。店では肩に垂らしていたストレートの髪は、無造作にひとつに束ねられ、Tシャツにパンツにぺたんこの靴を身に着けた「澪」は、まっすぐ前を見据えている。昼間の大学キャンパスならまったく違和感がない。だが、深夜の銀座8丁目では明らかに浮いている。

ついさっきまであらゆる装飾をほどこし、シャンデリアの光をちりばめた舞台で妖艶に微笑んでいた女性たち。高架下では口は一文字に結ばれ、魔法が解けたように輝きを欠いている。もちろん、美しくないわけではないが、テーマパークの舞台裏感は否めない。

もともと装飾の少ない「澪」は、よりいっそう装飾を削ぎ落しているにもかかわらず、高架下という何とも味気ない舞台で、微かに発光しているかのような静謐な美しさを湛えている。

ーそうか。彼女は魔法の粉がなくても美しい人なんだ。使命とともに本質を生きている人の魂は、微発光しているということなのだろうか。

ぼくは、この女性から糸島半島とのご縁のたすきを受け取った。高架下にたたずむ「澪」の本質をこの目で確認し、糸島半島へのポータルを、こりゃあ何としてもくぐらねばならぬと決意を新たにしたのであった。

(つづく)


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