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カウンセリングの神様(その④ 完結編)

赤いブランコに現れた白猫。はたして、白猫は使者なのか。ぼくは目的を遂げて事に東京へ戻れるのか。

1.次元のちがう話

白猫のお尻がついに生垣の中に消えたのと同時に、生垣の左側にある門のインターホンから、女性の声が聴こえた。

「どうぞー、お入りください」

玄関で迎えてくれた女性は、びっくりするほど小さい人間だった。145cm、あるかないか。夜目遠目なら、おそらく小学生に見える。少しふっくらしていて、白いシンプルなワンピースを着ている。なんだか雪のなかにいるオコジョみたいだ。

「こんにちは、斎(いつき)です。暑い中たいへんでしたね」

―ふつうに名乗るんだ。斎さんって珍しいな。神社とか関係あるのかな。っていうか、敬語なのに九州のイントネーションってかわいい。

「実家は神社で、父が神職なんです。でも、そこの神社じゃないですよ」

ふっくらしているのに、ほぼ体の重みを感じさせない足さばきで、すーっと移動するオコジョ。気づけば、うすい麦茶のような飲み物がテーブルに置かれていた。

「麦茶じゃなくてドクダミ茶。庭に生えるのを、自分でお茶にしています。もちろん無農薬なので安心してください」

―ドクダミって臭いやつ。来客時にドクダミ茶って、あんまり聞かないな。ひょっとして、あれか。先住民のシャーマンの儀式とかでさ、苦い薬湯を飲まされてトランス状態になってさ、そういうやばい系のやつ?

「ふふ。臭くも苦くもなくて甘いんですよ。まあ、飲んでみて」

うすい琥珀色の謎の液体をおそるおそるすすり、一秒後、いっきに飲み干してしまった。ぼくの知っているドクダミとずいぶんちがう。甘露のような味わいだ。のどが渇いているからだろうか。そういや、最初に赤いブランコを通り過ぎて大汗をかいてから、もう一時間以上たっている。

―いっきに飲んじゃったけど、だいじょうぶかな。
―斎さんはシャーマン?ヒーラー?
―白猫はやっぱり、使者だったのだろうか。
―ぼくが来ることは、神通力でわかったのかな。
―なにか、ぼくから質問しなきゃいけないのかな。
―そういや、料金っていくらなんだろう。

「いろいろ怖がりさんみたいだけど、よくいらっしゃいました。そのお茶には仕かけはありません。そして私はただの案内役。白い猫はうちの猫。庭先のサンキャッチャーを太陽の光に当てて揺らすと、外から帰ってきます。うちから赤いブランコは正面に見えるし、神通力なんかじゃないですよ。それから料金は・・」

オコジョはそう言いかけて立ち上がり、電話の子機を手にして戻ってきた。電話をかけるのだろうか。

その数秒後、電話が鳴った。

「あ、今から昼過ぎまで対話やけん、しばらく電話は出られんとよ。うん、うん。もう表に出しとうけん箱ごともっていってよかよ。電話ばね、待っとったとよ」

―おおおお。九州弁。っていうか、電話がくるのわかってたんじゃん。そして、さっきからぼくの質問は筒抜けじゃん。まぎれもなく神通力じゃん。

「ごめんなさいね。友だちが、そろそろ庭のハーブがほしいって言ってくると思って、さっき箱にまとめて準備しといたの。これから対話がおわるまで電話は鳴らないように設定するので」

ぼくは、空いた口がふさがらないような顔になっていたらしい。

「なんでもわかるわけじゃないですよ。ただ、一般的な人よりは、少しだけ早く気配を感じます。対話っていうのは、他にうまい呼び方がなくて。さまざまなものと対話をすることで成り立つ時間なので、そう呼んでいます。だいたい、お一人あたり三時間くらいかかります」

「それで料金の件ですが、とくに設定していません。でもね、無料というのはかえって困ると言われて、三千円はいただくことにしています」

―さんじかんで、さんぜんえん。大学院併設のカウンセリングルームだって、中野ブロードウェイの占いの館だって、一時間で五千円は取るよ。どうやって暮らしているわけよ。

「目安です。置いていかれる額はまちまちです。ほんとうにお若い方や、困窮されている方からはいただけないですし。でもね、不思議なことに食べていけるんですよ」

オコジョは、うふふとおかしそうに笑う。

「私、港の近くのお弁当屋さんで働いているんだけど、セッションが続くと働きに行けなくて参ったなーと思うでしょ。そうすると、過去に対話をした方々が、タイミングよくいろいろと送ってくれるんです」

「たとえばね、長野から送られてきたルバーブでジャムを作っておすそ分けをしたら、こっちじゃルバーブなんて珍しくて、糸島牛と交換したこともあるんですよ。岡山から無農薬の大豆と麹をたくさん送ってもらったときは、お味噌を仕込んでおいたのね。そしたら、ちょうど半年後にお財布がピンチになったときに、できあがったお味噌を野菜や米や魚と交換してね。笑えるでしょ」

―世を忍ぶ町民IDは弁当屋。実はシャーマンIDをもっていて、わらしべ長者もびっくりの物々交換ライフってことなのか。たまげた。

「誰も訪ねてこなくなったら、お弁当屋さんに戻りますよ。私ね、海苔弁を作るのが一番好きなんです。ちくわの磯辺揚げも白身フライも大好きでね。海苔は、このあたりでは有明海産を使うんです。からっと揚がった磯辺揚げと白身フライを、ぴっぴって海苔の上に寝かせているときが一番しあわせ」

おもしろい人だ。食べ物の話をしているときは本当に幸せそうだ。小さい大福餅みたいなオコジョ。たしかに、この人にならおいしいものを送りたくなるかも。

「私の役目は、門の才をもつ人にその役割を案内すること。門の才を簡単に言うと、ふたつの世界をつなぐ入り口を設定して、必要なものが行き来するまで保持する力のこと」

ーその力を、いったいどうやって使えばいいんだ。

「使い方はいろいろ。たとえば、この世とあの世をつなぐ霊媒師や仏門の人。意識と無意識をつなぐカウンセラーやヒプノセラピスト。生かさず殺さずのはざまを保つ麻酔科医。神の世界と人間界の橋渡しをする神職、創造的な仕事をする芸術家や研究職。表の仕事をもたないまま、あちこちで門の役割を果たしている人もいるのよ」

「さあ、じゃあ始めましょう。ちょっと手をさわってもいいですか?」

ぼくが頷くと、斎さんはぼくの両手をにぎった。
予想に反して、斎さんの手はひんやりしていた。
斎さんの顔つきが変わった。オコジョじゃない。
次の瞬間、斎さんはよどみなく話し始めた。

「ああ、なかなか課題の多いご両親を選んで生まれてこられました。あなたは天と地をつなぐという大きな使命があるようです。家族の中でも、その仕事をやってきた。小学校くらいから、かなり孤独を抱えていましたね」

「変わり者と思われることも多かったわね。人間と話が合わないから、動物や植物と話すしかないものねえ。欲にまみれて、心が弱くて、なんでも人のせいにして、自分だけがかわいい人たちに、ずいぶん傷ついた。それは、あなたが天地のはざまに門を作る人ゆえね。あなたが悪いわけでも、その人たちが悪いわけでもない。必要なことをなすために出会っただけ」

顔つきの変わった斎さんが話し始めてからほんの数秒で、蛇口がぶっ壊れたかのように、とめどなく涙があふれだした。とんでもない破壊力だ。

斎さんは、いったい誰と対話しているのだろう。ぼくのことをとてもよく知っている人のようだ。なぜ知っているんだろう。親ですら知らない、ぼくのことを。

2.ぼくの原家族

たしかに、ぼくの家族には問題が多すぎた。いわゆる機能不全家族だ。父は社会的立場のある人だったが、境界性人格障害に近い傾向があった。外面はびっくりするほどいいが、酒を飲むと暴力をふるい家族を震え上がらせた。

機嫌がいいと大盤振る舞いをする父。毎月、クレジットカードの返済をやりくりする母。父がにこにこしているからといって油断はできない。どんなきっかけで怒りに転じるか予測できず、ぼくらは神経の休まる暇がなかった。

家族のだれもが、この父と縁を切ることなど想像もできず、すべてのことが父を中心に回り、僕らは奴隷IDしか与えられていないかのようだった。

家電や家具は数えきれないほど壊れたが、次の日には何ごともなかったようにいつもの景色に戻る。ときには、壊れた家具やガラスを父と母が楽しそうに片づける姿も見られ、ぼくと妹は軽く混乱した。

周囲の大人は、呆れるくらいぼくの家庭の異様さに気づかなかった。あるいは、気づいていても無関心だったのかもしれない。どちらにしても、子どものぼくが傷つくにはじゅうぶんだった。

あまりにも同じことが愚かしく繰り返され、ぼくは、あるときから傷つくのをやめた。うちには、よそよりも頻繁に自然災害や内紛が起こる。そして、たまたま被害の修復力に異様に長けている人間が、ぼくの母なのだ。それ以上でも、それ以下でもない。そう思うことにした。

ぼくは感情を抑え込んだが、妹はそうはいかなかった。病的な激やせと激太りを繰り返し、対人関係も不安定になり、学校を休みがちになった。ついにはどんなに父に殴られようが蹴られようが、父の言うことは聞かなくなった。妹は18歳で家を出てしまい、男の家を転々とした。

ある時期まで、いつか母がぼくらを連れて家を出てくれるのではないかと期待していた。しかし、母はなかなか父を見捨ててくれなかった。母としては、どんなにひどい夫でもひとりで生きていくよりはましだったのだろう。

母の穴ぼこだらけの自尊心のよりどころは、宗教やネットワークビジネスや自己啓発セミナーといった類のものだった。そういうところにアイデンティティをもつ人々は優しく、赦しの精神に満ち、面倒見がよく、熱心に努力をすることをよしとする。母は誘われるままにセミナーや集会に頻繁に出入りし、いびつな家族の形を保つ方向で、けっこう頑張ってしまった。

ぼくらの人生に多大な影響を与えた父は、もうこの世にはいない。ぼくが大学3年のときに、あっけなく死んだ。愛人だった女性の自宅近くの自動販売機の前で倒れたのが最期。父は不整脈の持病があった。そして愛人は、ぼくと同じ年だった。

罰当たりかもしれないが、ぼくはこのときはじめて、神様は存在すると確信した。父と母は、結果として離れてよかったし、離れることになっていたのだと思う。

父としては尊敬できなかった男だが、社会的立場は平均以上を保っていた。そのため、母にはそれなりの資産がもたらされた。逆境にめげずに“成功”するというシナリオを失った母は、憑き物が落ちたようにセミナーや集会に時間を費やさなくなった。

3.まさかのヘーゲル弁証法

オコジョではない斎さんはつづける。
「あなたが、ここまで生きていてくれてよかった。ここにたどり着いてくれてよかった。今、あなたがこうして生きているのは、あなた自身の力です。あなたはとても魂のきれいな人ね。自分はどす黒いものを飲み込まされたとしても、同じものは吐き出さない。いつも地球をきれいにしてくれて、ありがとうって言っていますよ」

―だれが、だれが、言っている。

「さて、あなたの特質は、ふたつの相反する世界のはざまに立つこと。常に激しく渦巻くふたつの価値観のあいだにポータルを置く人なんですよ。あなたは、どちらの世界のこともよくわかる。だから裁くことはしない。裁いても答えは出ないと知っているからです」

「ふたつの価値観が接する激流のなかにあって、あなたは場を調整しつづけます。不用意に門をひらけば、声が大きく、力が強く、支配的な世界の方にもう一方が飲み込まれる。かといって開かなければ、永遠に世界は分断されたまま。むずかしい状況で、あなたは力を発揮します。現時点よりも高い次元の答えが導かれることを信じて、激流の中でポータルを維持しつつ、ひたすら在ること。それがあなたの仕事です」

―止揚(アウフヘーベン)。僕の脳裏を、ヘーゲルの弁証法がかすめた。
―そしてナラティブだ。ドミナントストーリー(支配的な大きな物語)と、オルタナティブストーリー(代替的な小さな物語)。

「そう解釈してもいいでしょう。でも、それだけじゃない。あなたの半分は肉をもつ人間だけど、あとの半分はちがう。あなたといると、なんだか苦しくなる人がいますね。それはね、あなたが魂の記憶や望みを引き出してしまうから。魂の記憶や望みって、肉をもつ人間の社会ではあまり大事にされていないけど、今いる場、国、世界、宇宙をよりよくするには大事なこと」

怪訝な顔をするぼくに、斎さんは言い含めるように言葉を継ぐ。

「例えば誰かがね、あなたと一緒にいるととするじゃない。するとね、相手が自分の本質に出会ってしまうのよ。目覚めるように促すメッセージが、あなたを通してガンガン降りてきてしまう。変わることは、人によってはしんどいこともある。誰かのせいにしたい人や正直でいられない人にとっては、とくに苦しいことなんですよ」

「やっけんねー。たまーに、ばり嫌われるっちゃんねー」

斎さんは突然、九州弁のオコジョに戻ってケラケラ笑った。

ーちゃんねーってなんだ。誰としゃべっているんだ。

「ごめん、ごめん。方言が出てしもた。もう、方言でよかですか。いやー、あるあるやなと思って。本当の自分を生きるって、けっこうきつか作業やし、勇気もいるんよ。やけん、今のままでおりたか人にとっては、あなたみたいな門をもつ人は脅威っちゃんね」

―ああ、わかった。博多ラーメンうまかっちゃんの、「ちゃん」だ。

「本当はね、もっと良くなるためのヒントやサインはみんなに来とうとよ。でも、言い訳しよったら聴こえんたい。そこに、あなたが門を開くけん、もう自分めがけてメッセージがガンガン押し寄せてきて無視できんくなる。なんかせな済まんようになるったい」

ーなんとなく、わかる。わかる気がする。

「自分がそういう影響を与える人やって、知っとったほうがよか。逆に、あなたの近くにずっとおられる人が、どげんか人か考えてみたらよか」

―ぼくは伊澤を思い浮かべた。伊澤は、人の悪口をあまり言わない。人のせいにもしない。失敗したことを隠さない。悔やまない。威張らない。恨まない。とらわれが少なく、あっさりと前向きで、風のように生きている。

「常に循環やら代謝やらしよる人は、あなたと一緒におったら、逆に心地いいとよ。ばってん、変わりとうなか人にとっては拷問よ。やけんね、彼みたいな人以外の人に嫌われても、あんまり気にするなって言いよんしゃーよ」

―なに?シャー?シャーマン?

「ところで、あなたは何になりたい人だっけ」

「カ、カ、カウンセラーですかね。えっと、資格も取りました」

でも、腹は決まっていない。だから、ここへ来たんだ。モゴモゴするぼくに、オコジョの斎さんは明るく言い放った。

「じゃ、今日お話した相手は、カウンセリングの神様やねえ」

斎さんは、その後も九州弁のタメ口になったり、九州訛りの敬語になったり、なぜか訛っていない敬語になったりしながら、さまざまなことを伝えてくれた。ふと気づくと、3時間ほど経っていた。時間の感覚がおかしい。

ぼくは、一万五千円を支払った。カウンセリングの相場で考えると安いくらいだったが、今のぼくに払える精いっぱいの額だった。

庭まで見送りに出たオコジョの斎さんは、「今月、弁当屋には何回いけるやろか」と笑っていた。外に出ると、より小ささが際立って見えた。

4.オコジョのもうひとつのIDは

ぼくは、帰途で考えつづけた。小さな大福餅みたいなオコジョの斎さんは、ぼくの手をにぎった瞬間に、なんだか別のものになった。つるんとした、ひんやりとした。なんだろうな。

帰りの便を待つ福岡空港で、ちょうど燃えるような美しい日没に遭遇した。これを糸島の海で見られたら、どんなにか素晴らしいだろう。

東京の自宅マンションに着いたのは、22時をまわっていた。鍵穴に鍵をさし込んだその瞬間、あのときオコジョが何に変わったのかひらめいた。

―蛇だ。ええええ。蛇だよ。神様IDじゃん。全国各地から糸島半島へ、さまざまな供物を送りつける人々と、集合無意識を共有した瞬間。

その夜、ぼくは夢をみた。

夜明け前の糸島のビーチに白蛇と並んで座り、対話のつづきのようなことをしている。白蛇は言った。

「与えられた才ば使いこなすための師は、おってもよかよ。カウンセリングやら、医学やら、占いやら、料理やら。なんでんよか。道具の使い方ば教える人はあってよかさい。ばってん、生き方の師ば外に求めたら間違うとよ。自分の舵は、人に握らせたらいかんと。答えはなんでん、自分のなかにあるとだけん。ほーれ、きばりんしゃい」

白蛇は、尾の部分でぼくのお尻をぴしゃりとぶった。

夢の中の白蛇のキャラは、斎さんとは少し違っていた。言葉もちょっと違う感じで、もう少し、なんというか、年季の入ったおばちゃんぽかった。

おばちゃん蛇にぴしゃぴしゃお尻をぶたれながら、清々しい日の出を迎えんとするところで目が覚めた。

ーぼくは、ぼくの才を信じて対話の場をつくればいい。

蝉の鳴かない神社で、ぼくの腹にすとんと落ちたものは、まだ腹のあたりにあった。このまま、この感じでいく。ぼくは、決めた。

(完)


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