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チームって言葉は面映ゆいが

『安心して傷つくことができる』。それは、いかに傷を悟られないかに腐心していた数年前には想像もできなかった境地。

1.今のチーム最強説

同僚女史と肩を並べてあるく退勤路。ふと口をついて出た言葉が、「今のチーム、けっこう最強かも」。間髪入れず彼女が、「うん、私もそう思う」。

数年前までは、チームなんて洗練された集団ではなく、自負心と鼻っ柱の強い傭兵集団に近かった。少なくとも私はそう思っていたし、本人たちを前にたびたび言葉にもした。それは純粋な賞賛のときもあり、一種の自虐や揶揄という棘をふくむこともあった。

私は同僚女史に一年おくれて現職につき、戦国時代みたいな混沌とした時代をふくめ4年をともに過ごした。緊急対応やハードな交渉事も入ってくる業務内容と、傭兵同士の侃々諤々のつばぜり合いの日々。
心身ともに混乱しそうなときもあったが、高潔かつ公平でクレバーな同僚女史のとっさの判断やひとことに、幾度となく整えられた瞬間があった。その彼女と年明け早々、先述の言葉が交わせたこと自体が奇跡だと感じる。

2.足りなかったのは敬意と信頼

私たちのチームは、たしかに変貌を遂げた。自分自身も変わったし、当時は震えあがるくらい怖かった手練れの面々も実に変わった。

数年前の私たちになかったもので、今はあるもの。
それは、敬意と信頼。

以前は、各々が腹の底で、
「自分がいちばん冷静」
「自分がいちばん有能」
「自分がいちばん博識」
「自分がいちばん慧眼」
「自分がいちばん勇敢」
「自分がいちばん常識人」
「自分がいちばん功労者」
「自分がいちばん経験者」
「自分がいちばん仕事が早い」
「自分がいちばん相談者に資する」

などと思っていた節がある。(半分は想像)
それぞれの分野で、すでに一仕事を成した人ばかりが集まっているのだから、それくらいの自負心はあってもいい。しかし、やり手ばかりが集ったところでチームにはならない。その典型だったと思う。私は最年少だったこともあり、侮られ貶められないように、必要以上に気張っていたと思う。

今は、それぞれの人柄や得意分野を互いに把握できており、経験年数や年齢は関係なく助言を求め合い与え合う。緊急時も阿吽の呼吸でカバーし合うし、雑談や軽めのディスカッションも格段に増えた。ケース会議も、ビリビリと空気を鳴らすような緊張をともなわずに行われる。一人に過重な負担がいかぬよう、さりげなく業務量の微調整もする。

誰かが有休を取れば「存分にリフレッシュしてきてね」だし、誰かが入院すれば「こっちは任せて。復帰を心待ちにしているよ」だし。休暇や体調不良が重なって人手不足でも、「いる人で、できることを粛々とやるのみだ」って感じだし。みんなが、自分のことも人のことも、追い込んだりこき使ったりしなくなった。それが共生と持続可能性の鍵だと、わかってきたのだ。

業績順でもなく、年功序列でもなく、経験年数順でもない。
それぞれに独自の力があって、互いに一目も二目も置いている。
だから、妙な嫉妬もない。そこが気に入っている。

ちなみに嫉妬という感情は、誰しも体験すること。これは持論だけど、自分か相手かどちらかの価値(もしくは両方)を認めていないときに、特に生じやすい感情ではないかと思う。
相手が享受しているものに対して、「分不相応でけしからん」とか、「たいした力もないくせに」などと外向きの嫉妬が向くときは相手の価値を認めていない。「あの人に比べて私は・・」とか、「どうせ私なんて」などと内向きの嫉妬が向くときは自分の価値を認めていない。
自分のことも相手のことも認めていたら、いちいち嫉妬に駆られて目線が上にいったり下にいったりすることはない。自分の目線が上下にさまようときは、自分と相手、両方の美点に目を向けた方が幸福への近道だ。

3.安心して傷つくことができる

話が横道にそれた。

先の、『今のチーム最強説』には続きがある。どうして唐突にチームを讃えたい気持ちになったかというと、相談援助職では「一人で対応したら、けっこうダメージ深いだろうな」ってケースが一定数あって、それをチームでやれることが、私にとってすごく安心なんだと思い至ったから。

個人でやっていた時代や、ある程度の立場があった時代は、どうしても無能と評されることが怖くて、けっこう背伸びして気張っていた。

今は、「ヤラレタ。衛生班!衛生班はいないか!」ってときには、チームに助けを借りる。援助職が傷ついたときは、無理に踏ん張らないで助けを求めた方が相談者の益になる。自然と他のメンバーが、わらわらと手やら足やら翼やらを伸ばしてカバー態勢に入る。別に傷ついた仲間を鉄の結束で助けるとかいう話ではなくて、相談者の利益を守るために当たり前にそうする。(クールでしょ)

例えば、代わって矢面に立ってくれる場合もあれば、舞台の幕が下りるまで待って担架を持ってきてくれるようなときもある。重い案件が続いた後には、休暇を取りやすいように周りが配慮してくれることもある。

援助職が傷つくことや修復の時間が必要なことは当たり前で、そのことと個人の能力や努力は別物という共通認識がある。「私の仕事」や「あなたの仕事」ではなく、「私たちの仕事だから」というチームとしての自負がある。だからメンバーは安心して、「疲れちゃったかも」「傷ついちゃったかも」と言える。

傭兵部隊の頃は、マウンティングされないために、いかに弱みを見せないか、いかに傷ついていることを気取られないかってことに腐心していたのに。安心して傷つくことができるなんて、けっこうすごいパラドックス。
自分を必要以上に大きく見せる必要がなく、必要なときには大いに力を発揮する。それって、けっこう素敵なことだと思う。

4.おまけ

『今のチーム最強説』には、もうひとつ続きがある。
先日、緊急案件に入って手が離せない同僚女史のために飲み物を買ってきたときのことだ。

ペットボトルを受け取った彼女から、「えー、なんかメッセージが書いてあるよ」と声をかけられた。期間限定パッケージのイラストには吹き出しがついている。なんとその言葉は「このチーム、最高」なるもの。全然ねらっていなかったので意表を突かれ、ちょっと面映ゆい感じがあったけど、偶然とは思えないめぐり合わせに思わずほっこり。

援助職が安心して傷つくことができて、安心して修復に没頭できる環境があるってことは、つまり人間らしさを保ったまま援助を続けられるってこと。それは相談者にも援助職にも資する話だろうと思う。

さて、これを職場の外でどう展開していくか。

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。







「どんなことでも、なんとかなる」「なにごとにも意味があり、学ぶことができる」という考え方をベースに、人の心に橋をかける言葉を紡いでいきます。サポートいただいた場合は、援助職をサポートする活動に使わせていただきます。