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カウンセリングの神様(その③糸島編)

銀座8丁目で糸島半島へのポータルが開いた。ぼくは、糸島半島の赤いブランコに11時までに座るというミッションを果たすべく西へと向かった。

1.つべこべ言わずにぼくを運ぶ

銀座8丁目で「澪」に会った夜、ぼくは港区の伊澤のマンションに泊まった。伊澤はシャワーも浴びずに寝てしまったが、僕はなんとなく興奮状態にあって、眠りにつくことができないままソファに横になっていた。

昼間の暑さによる疲労感か、慣れない場所で飲んだ酒の余韻か、どちらともつかないようなけだるさのなかで、まんじりともせず思いをめぐらす。

―あらかじめ日時を約束して会いにいくわけじゃないんだろう。じゃあ、ぼくが行くってことは、どの時点で先方にわかるんだ。ぼくが行った日に、先約が入っているってことはないのだろうか。いやいや、あの子の口ぶりからすると、ぼくが訪ねる日には何も予定が入らないめぐり合わせになっているんだよ。

―もしかして、あの子を介して、すでに先方とぼくが同期されているのだろうか。となると、今こうして糸島半島に思いを馳せていることも先方には伝わっているのかもしれない。GPSで探知するみたいにさ。「東から待ち人来たる」みたいな信号がビビビッと来たりしてさ。

眠れぬぼくは、航空チケットの予約を始めた。こういうことは、いくら考えても答えが出ないものだ。とにかくいろいろ考える前に、ぼくを糸島半島の赤いブランコまで運ぶ算段をするにかぎる。

2.福岡を履物で表現してみたら

5日後。ぼくは羽田空港から始発で福岡空港へ飛んだ。しがないフリーターのぼくは、平日の航空チケットを買うのが精いっぱい。もちろん日帰りだ。

福岡に着いてからのぼくの動きは、通勤客と逆行していた。福岡市営地下鉄空港線で博多や天神といったオフィス街を通過し、福岡ドームを越えてさらに西へ西へと向かうたびに人が少なくなった。姪浜駅からJR筑肥線という路線に変わり、さらにローカルな雰囲気が増す。

JR筑肥線の旅は、九大学研都市駅まで。もうすでに糸島市に上陸しているのだが、赤いブランコまではバスか車でしか行くことができない。ぼくは、予約していたレンタカーを借りた。朝日はすっかり昇りきって、かすかに潮の匂いが感じられる。

いよいよ糸島半島。羽田空港が7センチヒールなら、福岡空港は3センチヒールって感じだ。姪浜はフラットシューズで、九大学研都市はもはやスニーカーだ。

少し遠回りになるが、海沿いのルートを選んだぼくは確信した。

―糸島半島は、断然ビーチサンダルだ。

まだ午前中だというのに、7月の糸島の陽射しは、東京よりずっと厚くて熱くて暑い。強烈な紫外線に碧い海とヤシの木がびしばし映える。ナビを眺めていて気づいたのだが、糸島半島を通過してさらに西へいくと、もはや佐賀県に入るのだ。

どうりで、ひなびた日本の田舎感と南国ハワイアンのマリアージュがこそばゆい。古民家の縁側で蚊取り線香を炊きながら、パイナップルやプルメリアが飾られたトロピカルジュースを味噌汁椀で飲んでいる気分だ。

実は、JR筑肥線に乗り入れたあたりから、明太子と屋台のイメージとはずいぶんかけはなれてきていた。もはや自分が福岡にいるという実感はまったくないが、今はとにかく赤いブランコを目指すしかない。

3.予定外の安全祈願

「澪」が名刺の裏に書いてくれた地図とナビを頼りに、神社へと向かう坂道にさしかかった。公園がある。公園の半分はうっそうとした樹木で日陰になっている。そして赤いブランコは、どうだ、あるのか?

―ある。やばい。まじで赤いブランコ。

ぼくは公園を通り過ぎ、そのまま坂の上の神社の駐車場に向かった。頭、首、脇、腹、腿、あらゆるところから変な汗が噴き出している。ものすごい胸さわぎだ。

―もしかして、もしかして、ぼくが赤いブランコに座ったとたん、電気工事を装ったスナイパーが電柱の上からぼくの胸を打ち抜いてさ。ぼくが崩れ落ちたところに黒塗りのリムジンが音もなくすーっとやってきてさ。地面に横たわるぼくを黒服の男たちが縛ってさ。頭には袋をかぶせてリムジンで連れ去ってさ。そして?そして?誰かの身代わりとして博多湾に浮かぶ。なーんてことは、まさかありませんよね。

―まて、まて。銀座8丁目の高架下で微発光していた「澪」に嘘はなかった。そしてぼくにも微かながら直観ってやつがあるんだよ。いかねばならぬのだよ、今日は。理屈抜きで、いかねばならぬのだよ。

運転席でハンドルを握りしめたまま時刻を確認する。10時02分。指定されたリミットまで一時間弱。予定外ではあるが、もはや身の安全は神頼みしかない。この先にある神社に安全祈願をしてから行こう。

駐車場からほど近い本殿の参拝は、ものの数分で終えた。神社の見取り図を見ると、少し離れたところに奥宮があるようだった。10時14分。まだまだ時間はある。

山道を切り通したような小路を進み、奥宮の境内へ足を踏み入れたとき、あたり一帯が何とも言えぬ静けさに包まれていることに気がついた。森を四角く切りとったような雰囲気の境内で、おもわず空を仰ぐ。さっきまでギラギラと照りつけていた太陽は、樹々に濾過されたようにやわらかな光の筋となって降りそそいでいる。

―なんだ、この静けさは。しかも、ひんやり。
―蝉の声がしない。蚊もいない。

車を降りてからずっと聴こえていた蝉の声が、まったく感じられない。

―そんなことって、あるのか。
―結界でも張ってあるのか。
―昆虫に結界は通用するのか。

謎は謎のままだったが、ぼくはここまで無事にたどりつけたことに感謝を申し述べ、必要なことを遂げて無事に東京に帰れますようにと、神様にお願いをした。

さっきまで胸のあたりで大暴れしていたものは、今は腹のあたりにすとんとおさまっている。

4.赤いブランコと使者

駐車場に車を置いたまま、ぼくはまっすぐ公園に向かった。赤いブランコに座るために。もう迷わない。どんなことが起きても、ぼくは大丈夫。生きて東京に帰るのだ。

はたして、赤いブランコには先客がいた。まさかの白猫。赤いブランコは、ひとつが通常の幅がせまい板でできたもので、もうひとつは幼児向けの背もたれがあるものだった。猫は幼児用のブランコに器用におさまっている。

―うっそ。この猫が使者。なーんてことは、さすがにありませんよね。

時刻は10時50分。けっこうぎりぎりじゃないか。ぼくは慌てて空いている方のブランコに座った。白猫は、ちらりとぼくに視線を送ったものの逃げようともしない。

―それから、それから?スナイパーは?リムジンは?

ビビりのぼくは、いつでもブランコを捨てて茂みのなかへ逃げこめるよう、中腰の体勢であたりをうかがった。正面の民家の窓に、なにやらキラっと光るものが目に入る。何度も、何度も、ランダムに光を放つ。

―おいおい、モールス信号とか無理だからね。

にわかにそわそわし始めたぼくをチラ見した白猫が、するりとブランコを降りる。一歩、二歩と歩いて、ちいさな声でにゃあと鳴く。なんだ、この思わせぶりな展開は。猫はまた一歩、二歩と歩いて、にゃあと鳴く。

―ついてこいってことなの?ねえ、ついていけばいいの?

ここまできたら何でもあり。ぼくは、覚悟を決めて白猫のお尻を追った。

(つづく)



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