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富士の樹海でサスティナブルな人間関係を悟っちゃった

恋愛結婚偏差値30前後の暴れん坊が富士の樹海にみちびかれ、常時55以上をキープするための悟りを得た話。

1.二回目の耳鳴りにも学びがあった

これまでの人生で、耳鳴りに見舞われたのは三回。
最初の耳鳴りは、一回目の離婚の後。
次の耳鳴りは、二回目の離婚の後。
直近の耳鳴りは、昨年の感染症警戒時期の激務によるもの。
(三回目の離婚でなくてよかったよね)

前回の記事では一回目の耳鳴りによる怪我の功名ともいうべき、毛穴で聴くことについて書いた。

実は二回目の耳鳴りは意外なきっかけで症状が消滅している。そのときの学びは、「サスティナブルな人間関係」。

2. 恋愛下手なのに恋愛を語る

二回目のしくじりおよび耳鳴りの頃、ある媒体にコラムを連載していた。
なんと恋愛コラムである。
私自身が恋愛が得意だったわけではない。むしろ恋愛偏差値があまりに低すぎたために、七転八倒の末にかずかずの人間関係の神髄を垣間見ることになってしまった。その手の学びを一筋、恋愛相談コラムという型のなかに編みこんでいたというわけ。
リアルタイムで恋愛や結婚をしくじりつつ、しくじりをすみやかに成仏させ、世の迷える女性たちに資する学びとすべく夜な夜な念をこめてパチパチとキーを叩いた。

恋愛相談コラムという型をとった理由は、二つの思惑が交差したから。
ひとつは編集側の思惑。その媒体の読者層は20代後半~40代の働く女性で独身率もそこそこ高く、恋愛は切っても切れないテーマだったということ。
もうひとつは、当時カウンセラーとして相談業務にあたっていた私側の思惑。一見すると恋愛相談の形をとっている問題のほとんどが、実は根が深い愛着関係に由来している実感があった。恋愛の相手が変わっても、当事者が内包している原家族に対する葛藤が手つかずのままだと、何度も同じような結末を迎えてしまうことにもどかしさを覚えていたのだ。

愛情にまつわる課題を根本から見つめなおすのは、精神的生皮を剥がれるくらい悶絶なのだが、気づいたときにやらないと余計に苦しみがつづく。
なるべく深刻にならないように、なるべく一瞬で御免!(核にむかってシュパッと刀を振り下ろす)という試みを、刀ではなく筆でやっていたというわけ。

3.恋愛相談コラムを書きながら離婚

コラムの連載中、私生活は二回目の離婚騒動の真っただ中だった。
私自身が相手と関係を初めることを決め、いちいち節目で対応を間違えたのも私なら、これ以上、関係構築のための努力は無駄と割り切ったのも私。
誰のせいにもできないので、自分で落とし前をつけるしかない。

正直、二回目の離婚は痛かった。
人間関係のあれこれは職業柄さんざんやってきただけに、二回目の離婚は本当に痛かった。

「医者の不養生、紺屋の白袴、易者身の上知らず、髪結い髪結わず」
「わかってるよ、うっせー、うっせー(頭から布団をかぶる)」

脳内で1000回くらい繰り返した内的対話。

一回目の別れ際は、すったもんだで不細工だった。それに懲りて二回目は弁護士を入れた。そういうところの知恵はつく。
冷徹に沈着に事を進めたつもりがかえって裏目に出たか、気づけば耳の中で蝉が羽化したかのごとき音がわんわん鳴り響いていた。

4.そして青木ヶ原樹海へ

この耳鳴りがピタリと止んだきっかけは、青木ヶ原樹海。いわゆる富士の樹海である。念のためことわっておくが、人生に思いつめてふらふらと迷いこんだわけではない。プライベートでカジュアルな明るい日帰り散策ツアーに参加しただけ。
樹海のガイドをやってくれる人がいると聞いて、チェックのネルシャツにパックパックを背負い、買ったばかりのトレッキングシューズを履いて新宿西口からバスに乗り込んだ。耳の中のわんわん蝉も一緒に。

1200年前の噴火で流れ出した溶岩が生んだ原始林は実に神秘的だった。
氷穴や風穴という異世界に入り込み、ふたたび陽の差す原始林に出るという行為を繰り返すうちに、海底に棲む魚のような心もちになった。
幻想的な森の随所で生命の循環を感じながら半日を過ごし、樹海を後にしたのは日没の頃。

5.蝉は去り、お告げ降臨

翌朝、わんわん蝉は鳴かなかった。
両耳をぱたぱたとはたいてみたが、蝉はいなくなっていた。
そこでひとつ、お告げ降臨。

「人と人とのかかわりもぉ~、サスティナブルであるべしぃ~」

それまでの私が腐心していたのは消費。関係性の消費だったのだ。
よさそうな資源(恋愛や結婚の相手、依存の相手、寄生の相手、暇つぶしの相手)を見つけるやいなや、ものすごい勢いで探り尽くし、愛で尽くし、吸い尽くし、からっぽにする。
自分の資源も、相手の資源も火をつけたが最後。すべてが灰になるまで燃えつづける。愛情、時間、お金、関係性を渾身の力で消費しつくす。
そんなことでは1~2年ごとにお別れする運命は避けられない。

わんわん蝉との突然の別れにとまどいつつ、ガイドの「この森は一度燃えつき、1200年かけて原始林として蘇った。それでも森としてはまだ若い」という言葉を反芻。
有機的な森が生まれるのに1200年。消費しようと思えば一瞬。
人間関係も同じこと。関係性を地道に耕し、生まれいずるものを待つ。
自分を本来の形に整える時間を取り、相手にもその時間を与える。
そういうことが必要だったのだ。

6.「Doing」から「Being」へ

何かが生まれるというのは長い時間と見えない力が必要である。
そして、現時点で何もないところに生命の予兆を思い描いたり感じとったりすることは、ひじょうに難しい仕事。
「今みえているもの」を刈り取れば一瞬で終わるが、はぐくめば永続的に循環し繁茂する。

衝撃のお告げを実践するには長い時を要したが、この頃からビジネスでもプライベートでも、「余計なおせっかいをしない」「意図や作為をしない」「人の心の本当のところはわからない」「なにか生まれることを想像しながらも期待はしない」という在り方を意識しはじめた。

たとえば、黙っている、視線をずらす、気をきかせない、さわらない、動かない、距離を保つ、手放す、自分に集中する。
一見冷たいようだが、無条件の愛をたたえて全力で「在る/Being」ことが、ときとして直接的な「する/Doing」よりも豊かな世界を生みだすことがあることを知った。
生命力の自発と循環のためには、なにをするかよりも、どう在るかを見直すほうが早い場合がある。

頭と体が一致しても、次の瞬間にはバラバラとほどけていく。
体得したはずのバランスも簡単にゆらぐ。
無邪気につかんで、あっさり手放して、また無邪気につかむ。

ただ繰り返すべく今日も書く。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


「どんなことでも、なんとかなる」「なにごとにも意味があり、学ぶことができる」という考え方をベースに、人の心に橋をかける言葉を紡いでいきます。サポートいただいた場合は、援助職をサポートする活動に使わせていただきます。