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お久しぶり

今日は久しぶりの更新になる。

屋久島旅行の記事を更新してから、なんとなく自分の中で区切りがついたので、毎日更新していたnoteを少しお休みしていた。
先ほど確認したら、前回更新から10日も経っており、時間の過ぎ去る早さというのは恐ろしいものである。

今日は最近のよしなしごとをつらつらと書いていくことにしよう。

先週の週末は忙しかった。まずは金曜日に母が東京観光に来た。展示を2つ見て、誕生日が近いので何枚か服を買ってもらった。私が夕方から用事があったため、ゆっくりと話す時間が取れなかったのが惜しいが、久しぶりに会う母は髪型を変えて少し若返っていた。土曜日は恋人と文学フリマに行き、夜はバイト。日曜日は恋人の家に行き、三軒茶屋で一緒に古着を見た。

月曜日(つまり昨日)が、私の誕生日だ。月曜は2限があるために、日曜は丸一日遊び、お泊りで月曜の朝に帰るという前々からの計画だった。三軒茶屋は初めて行ったのだが、良い意味でこぢんまりしており良い雰囲気だった。気温が14度とかなりの冷え込みで、震えながら歩き回ったのだが、手をつなぐとあたたかいのが幸せだった。付き合ってから初めての冬だから、私は、寒いねと言って手をつなぐのをひそかに楽しみにしていたのだった。それを正直に白状すると、「ベタなの好きだね~」と言いながらもぎゅっと強く握ってくれた。家を出たのが午後2時ごろだったので、古着屋を2,3軒回って試着したりなんやかんやしていたら、外はすっかり暗くなっていた。スーパーで食材を買って、恋人の家で二人でお好み焼きを作った。私は恋人と料理をするのが好きだ。単純に楽しいし、同棲みたいな感じで距離が縮まる気がするからだ。お風呂に入った後は、二人で『ファイト・クラブ』を観ることになった。

『ファイト・クラブ』を観たいと言い出したのは私だ。最近『暇と退屈の倫理学』を読破したのだが、その中で現代資本主義社会に生きる人間の退屈さを描いた例として紹介されていたのだ。さらに、その日の朝に読んでいた「再魔術化するテクスト」というnoteでも紹介されており、その話を恋人にしたところ、それまで特に興味なさそうに聞いていたのが、『ファイト・クラブ』と聞いて「見たことある!面白いよね!」と食いついてきてくれた。そこで、恋人は2回目でもいいということだったので、観ることになったのだ。

おやつにはとんがりコーンを準備して、お茶も淹れて、部屋も暗くして、映画を観ながらいい雰囲気に…となりそうなところだが、映画そのものが面白すぎて、途中でいちゃつくこともなく二人とも集中して見終わってしまった。その日は、1999年とは思えないクオリティの高さ、最後の落とし方について、主演の俳優のグラサンの似合いっぷりなどを話しながらベッドに入った。

誕生日プレゼントにはお皿と箸置きをもらった。「自分の審美眼に自信のあるジャンルで、相手があまり買わないもの」という不文律を私が作ってしまったので、恋人もそれに則ってプレゼントを選んでくれた。私は食器に無頓着で、多くは持っていない。一方恋人は、実家一人暮らしというやつで、家にはお母さまこだわりの食器がたくさんある。選んでくれた白い皿は使いやすい大きさかつ、何を載せても美味しそうで可愛らしいデザインだ。箸置きは、恋人は必ず使うが、私は使う習慣がそもそもないので、その習慣を身に着けてほしいということらしい。頑張って身につけようと思う。

2か月前の恋人の誕生日に私は手紙を書いたのだが、恋人も私に手紙を書いてくれた。読んで思わず泣いてしまった。内容がどう、というわけではないのだが、手紙を書いてくれたことそのものに感動してしまったのだった。私は手紙というのは「場の空気に流される」ということが絶対に起こらない、信頼できる場だと思っているので、「ここに書かれていることは真実である」ということが、逆に怖さになって、手紙を開く時はかなり緊張していた。読み始めてその緊張の糸が切れて、感情も涙も堰を切ってしまったというのが実際のところだ。それでも、とにかく嬉しかった。

20歳を超えると、誕生日なんてさしたる節目でもないなと思うわけだが、恋人と過ごす誕生日なんてものは生まれて初めての経験だった。自分の隣にいてくれる存在、そのような約束を交わした存在がいるというのは幸せなことだなあと再認識する、そんな誕生日だった。

今日はこんなところで。

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