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シャニアニのseason2の第一幕の感想。「みんなのほしかったものが私のほしかったものとは限らねーんだろーなー」

・大人数登場する人物全員に満遍なくフォーカスをあわせたらドラマとして薄味にならざるを得ないんだから思い切ってそのなかの個人の視点で描いてくれた方が個人的に嬉しいし、メディアミックスという「サイドストーリー」を描くにはむしろあっているのではないか。

・オタクは基本的にライブ演出がどーんってきてばーんってなってずどーんってなったらなんかおおむね「いい話だったな!!」て納得して帰ってくれるんだから最も需要を満たすのは「アニメオリジナルでのライブ」であって、ならば丸々一話やむしろ全編ぶちぬきでオリジナルのライブシーンだけのアニメとかあってもいいんじゃないか。

 アイマス方面のアニメに触れる度に取り出しては片付けてた個人的な要望が上記二種なのだけど、そのどちらもがついに(概ね)叶えられた作品となったのだから相応の満足は得られたと思う。
 思う。
 まあ思うんだけど。

 まず評価すべきは脚本の芸がみられた点だ。
 第一話でみられた、芹沢あさひが「真乃ちゃんは、どんなアイドルを目指してるっすか?」という問い掛け。
 正直なところ私の反応はおー、芹沢あさひの雑な消費ィーみたいなものだったけども。このときのあさひは既に、第二話にて「優れたパフォーマンスをみせても、それで認められるわけではない」という体験を経ている。
 それを踏まえての「どんなアイドルを目指してるんすか?」という問いであり、これが「アイドルになって新たな景色に出会えた。ならばこの景色を自分はどう歩いて行くのか」という真乃の自問自答となり4話までを支える骨になる。

 個人的に評価したいのは、河川敷で唐突にダンスレッスンしてて真乃ちゃんに急に本質的な質問をするという芹沢あさひ雑消費にみえたそれも、(優れたパフォーマンスだけではダメらしい、じゃあダンスが好きな自分はどうすべきなんだろう)的な疑問に向き合っている姿であって、だからこそ先にアイドルやってる真乃ちゃんに直接質問をしてみたという構図になってるあたり。
 要するに、あさひなりに、あの経験が深く疑問として根差してて、あさひなりに疑問に向き合ってて、あさひなりに真剣にアイドルをやってるという姿であってーっつってあさひ担当な部分がまろび出過ぎる前に中断するけども。

 ……まあシャニアニ中に「解 釈 完 全 一 致」なシーンがあったかというとそうでもないんだけど。OPアニメんときのあさひはストレイの面々を引っ張ってくような姿に描かれたけども個人的な好みだと、二人を置いて空に向かってってるのを愛依ちゃんが慌てて手を掴んでーみたいな絵のほうが……云々……。

 要するに、Straylight.run() に少し手を加えることで、ストレイライトの話のみに留まらず、それを経た芹沢あさひらが283プロの面々に影響を与えていくーという形で、アニメのストーリーラインに乗っけつつ、原作を別角度からみた話を提供してくれたわけで。これは脚本の芸だと思う。
 そうそうこういうのが見たかったってやつ。
 シャニマスにおけるハロウィン時期はなんかPがトンチキな世界に跳んでくのが常になってるんであまり描かれず終いーなのをアニメが補完してくれたと解釈できなくもないし。
 その後も真乃ちゃんの視点と彼女の悩みを中心として話は進んでいき、それはライブである程度果たされたようにみえた。自分たちでアイディアを持ち寄るライブに、あまり積極的に輪に入れないことに戸惑うーってよりかは、積極的にアイディアが出せない=自分のアイドル像みたいなものを確立できてなくて、逆にぽんぽんやりたいことを見付けられる周りの皆に気後れしてしまっているーて解釈でいいんよね?

 まあそのために愛依ちゃんの見所が大幅に割引きされて、おっぱいのれんとふとももとを惜しみなく提供してくれるおねーさんという立ち位置にのみ留まっていることにどうしても不満はあるが……もうちょい一個人にフォーカスすべきでは願っていたのは私自身なので涙を呑もう。

 個人的に好きだった演出ポイントは、フィジカルとフィジカルとフィジカルに囲まれた灯織ちゃんが、(ここで休憩をおねがいして皆の足を引っ張るよりも、自分が周りに追いつけるよう頑張ろう……!)て判断したっぽいのを察知したであろうフィジカル and ロジカルな夏葉さんが「灯織、いける?」とだけ聞いて済ませたところですね。あのシーンの夏葉さんかっこよかった。
 

 そんで。
 もう一つの、こうしてくれた方がいい気がする願望である「アニメオリジナルなライブシーンへの注力」だけども……これはある程度はたされたことで(思ってたほどいいもんじゃなかった気がする)という感想になってしまった。
 一言で言うといまいちノれなかった。
 あえてアニメの寸評的な視点で乗れなかった点を論うと……。
 ライブ冒頭での異様な速度の衣装チェンジに、ショート版での新曲披露あたりでアニメ側の都合がみえたように感じて、以降はちょっと白々しく感じてしまった。他にも観客の熱狂にある種の共感性羞恥みたいなものを覚えたりとか……。
 ライブって結局のとこ、ナマのものなのかしら。
 そのへんはまあ見せ方とか色々あるとは思いますが。
 うーん。
 折角、新曲4つぶちこんで、しかもシナリオもそこで集束するよう指向されたものなのに、微妙な不徹底の感じられるところでそれが盛り上がりきらなかった、或いはそれを十分に私が受けとめられなかったという結果がこう……しょっぱい。

 総評としては……どうなんでしょね。
 season1 で皆様が喧々としてらした初見でもいけるんかどうなん的なアレは別段大差なく感じるし……むっっちゃくちゃマイナスなことを言うと、season1 の第三幕で感じた「これ多分、この座組からしてイマイチぽいからこの座組で出てくるなりの感動しか期待できないっぺえなあ」て感想にはそんなに動きはないです。でもまあうん。まだ全体の 1/3 だしね。評価保留評価保留。

 こっからは作品評てよりかは大幅に私個人の体験の話になるのだけども。
 なんかこう。
 そうやって、「ファンに喜んで貰おう」て意志とコストがしっかり傾注されたであろう作品や演出を、ああ……うん。がんばったね……悪くはなかったと思うよ……がんばったのはわかるんだけど……程度の反応でしか受けとめられないのって、なんか、こう……あまり幸福じゃないなっていうか……。
 ものずごく当然なことを今さら実感したというか。

 そうと感じた由縁なんだけど。
 アニメ制作の現場なんてなーSHIROBAKOでぐらいしか知らん身の上なんでただの想像ではあるが、アニメの制作猶予って、「一期の反応をみるにエンタメ成分が薄すぎたらしいんで二期では一気に新曲4つぶっつけた贅沢なライブシーン作ろうかー」みたいなハンドリングが出来るようなスケジュールじゃないと思うんですよね。
 つまり、あの薄味エンタメで皆が『これはシャニマス原作1年目の空気感の再現なのだよ!!』て好意的に解釈してたあの演出も、そこから season2 たる今作の、一転しての『なんかわかりやすいな!! ちゃんとエンタメの味がする!!』て演出も、当初から織り込み済みな演出プランだったのだと、私個人は類推する。
 season1 は原作一年目たるを遵守しつつ、故に新曲はOPの1曲しかありませんとかやってたのも、season2 でがっつりライブ演出やるから新曲そっちにぶつけるね判断だったのだろうなだとか。
 そういう大仕掛けが。
 なんかこう。
 そんだけこっちを楽しませよう、喜ばせようとしてくれてる姿勢は伺えるのに。
 なんかこう……うんまあ、水準には達してるんじゃないかな……程度の反応しか返せないのが。
 なんとも。
 しょっぺえなあ。と。
 まあ、そうした期間を設けた方がシャニソンでの新曲追加にもいい感じのタイムラインを築けるからみたいな一石二鳥狙いだったんかもしらんが。

 もちろん、費やした労力が報われるとは限らないのが世の中であるし、半分以上バクチだと受けいれられてるのが興業ってやつである。なのでまあ、少なくとも私は最後まで付き合うよ。シャニアニ。義務とかそういうんじゃなくてね。いや半分くらいそうかも。

 他、細かいところとしては。
 season2 第一話からずっと継続してるけど相変わらず単調な顔面どアップの構図ばっか続くなあスクリーンサイズなのもあわせて近眼になりそうでしたわよとか。
 ピーちゃんに続いてオミットされた要素、冬優子のマスクとか。
 ちょっとおいヒゲ真乃ちゃん可愛いなこれおい可愛いぞこれ。千雪さんとまとめに掛かっててもなおヒゲであり続けるのにはちょっと笑ったけどでもほんま可愛いなおい撮影タイム頼んだぞ撮影タイム。わかってんだろうな撮影タイムとスマホを構えたのにヒゲ真乃ちゃんは来ませんでしたとか。
 急に努が「すぐに確認できるようにしておくのもいずれ役に立つ日がくるだろう」的な解説で撮影タイム入りしたけども、その後に冬優子が「写真の写真……? まあ手軽に確認できるかもしれないわね。いい考えなんじゃない?」て肯定してましたがでもその発案全部、努の受け売りなんですよねーて事実を冬優子が知ったらネトラレ的なアレを感じそうだとか。
「今までのシャニアニ」みたいなアレを毎回挟むのはさすがに辞めたのはちょっと遅い気もせんではないがまあ妥当。偉い。一応ちゃんと劇場で観るように直した部分はあるのねとか。

 次は8月だそうです。たぶんすぐだと感じるだろうなあ。

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