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剣道の礼法講座 かっこよく抜刀して蹲踞する 

剣道の「礼法」について、「礼法」は剣道の伝統精神性を如実に表したものであります。剣道を学ぶとは、「礼法」を学ぶこと他ならないので、是非、「礼法」を通して、剣道を学んでほしいなと思います。

剣道場の考え方

現代剣道の世界では、原則として正面席に対して向かって右側を上座、左側を下座とする習慣があります。これは古代中国の「天子南面す」という考え方に因っているものと考えられます。
 つまり天子様のような地位のある方の御席は北の方角に南側を向いて据えられるのが基本とされ、その天子様の左手、すなわち向かって右側は日が昇る東となるため上座とされ、その反対側となる西は下座とする考え方です。日本も古来からこの思想を受けて、町割りや築城、神社仏閣などの建築に取り入れてきました。京都の町割りが、御所のあるところを上京区とし、この御所から南側を見て、順に中京区・下京区となり、更に左手の東側が左京区、右手の西側が右京区となっているのも、こうした理由によるものでしょう。

道場に入る時(玄関・靴)

右足から靴を脱いで玄関框に上がろうとすると、これは相手にとって上座側の足から入ろうとすることになりますので失礼に当たります。そこで、玄関では左足から靴を脱いで上がります。
 脱いだ靴を揃える際に、後ろ向きになって揃えようとする人がいますが、これは相手に尻を向けることになるので、やはり失礼になります。そこで相手にとって下座側になる、玄関に向かって左側に横向きにしゃがんで靴を揃えます。揃えた靴は、後から入ってくる目上の人のことを考慮して、出来るだけ下座側につま先を外に向けて置きます。玄関を出る際に、靴を履きますが、今度はつま先を外に向けた靴をそのまま履いたのでは相手にお尻を向けて履くことになります。
 そこでもう一度下座側にしゃがんで靴を横向きにし、今度は上座の側の足となる右足から先に履きます。

道場への出入り

 道場へ入る際には、下座側となる左足から1歩入り、そこで道場の正面(上座)に向かって一礼をします。出るときには、道場の出口の手前で、道場の正面に一礼をし、目上の先生がまだ道場内におられる場合にはそこに向かっても礼をし、その後、出口を背にしてうしろ向きのまま右足から道場の外に出ます。一方、剣道の試合などで、試合場(コート)に入るときは、相手と対等です。この場合には必要以上にへりくだる必要はありません。ですから、今度は堂々と右足から入り、出るときは左足から出ます。

剣道の稽古前後には、全員が並んで正座をし、「正座(姿勢を正して)」「黙想」と声をかけるのが一般的ですが、中には「黙想」の号令を用いずに、「静座」とのみ声をかける道場もあるようです。

 これは、剣道の基本理念が「無念無想」の境地を求めるものであることから、黙して想う「黙想」ではなく、儒教の「静座法」を取り入れているためと考えられます。
 静座法というのは、静かに正座して、呼吸を調整し、腹式呼吸で下腹部を緊張させ、横隔膜の活動をよくし、無念無想で心身の健康をはかる方法です。近年では、全剣連の指導も「静座法」を薦めていると聞きます。
 [参考]
   正座 : 礼儀正しくきちんとすわること。
   黙想 : 黙って考えにふけること。
   静座 : 心をしずめてすわること。

木刀の持ち方

刀を提げ刀する場合には、必ず右手に持ちます。これは周囲に対して刀を抜く意思がないことを示している状態です。左手に持つ際には、携刀と言って、鍔に親指をかけ、腰にとります。剣道ではこれを帯刀と言っていますが、本当の帯刀は刀を帯に差した状態です。携刀は刀をいつでも抜ける状態ですから、敵でもない人の前で携刀姿勢をとることは非常な失礼に当たります。正座の際には、刀は右側に置き、なおかつ抜きにくいように刃部を内側にして置くのが礼儀です。竹刀の場合は略式で左側に置きますが、刀に準じた礼法と考えると刃部となる方を内側に弦を外側に置くのが自然だと思います。

蹲踞について

蹲踞とは、わが国古代、貴人に対し最上級の敬意を表すために行われていた礼法のひとつです。
古代の日本人は、貴人に出会った時には、道端に跪き(蹲踞して)手を合わせて敬意を表したそうです。今でも東南アジア諸国(タイ等)に行くと同様の礼法がありますね。
現在わが国では神社の参拝(2礼・2拍手・1拝)に名残を留めています。
その意味は、
真剣であればこれから命のやり取りをするお相手に対し、竹刀であっても己の心身の練磨の手助けをしてくださるお相手に対し、最大限の敬意を表す行為です。
最初の立礼は、通常行われる互いの礼。そこから互いに進み出る事で命の(心の)やりとりの覚悟を決める。その昇華された心の有り様が蹲踞となって現れると理解しています。
剣道も今の形に至る以前には、刀(竹刀or木刀)をそれぞれ切っ先をお相手に向けて
彼我の中間に置き、互いに蹲踞し片手を床(地面に)ついて礼をしておりました。
現在でも流派によってはこの形式を残しているものもあります。
同じようなものでは、相撲の土俵入りが正に蹲踞そのものです

蹲踞(そんきょ、そんこ)とは、体を丸くしてしゃがむ、または膝を折り立てて腰を落とした立膝をついた座法
剣道では相撲と同様の姿勢、または片膝を床に着けて立ち膝で上体を起こして姿勢を正した状態を言う。ときに竹刀を正眼に構えた状態で蹲踞する場合もある。伝統的な剣術では片膝を床につく折敷という礼法であったものが、剣道になった際新たに爪先立ちで踵の上に尻を載せる礼法が制定されたものである。

一、現代剣道で「蹲踞」と呼ばれている礼法は、元来は神前の礼であったものが 相撲の様式の中で変化したものである。
一、「蹲踞(そんきょ)」という記述は間違いで、正しくは「 跪居(ききょ)」  と呼称すべきである。
跪居:跪(ひざまづ)くことをいう。つま先を立て、両膝をつき、かかとの上に 体を置く。上体は真っ直ぐにしてやや前傾する。
(一)起座、着座、膝進、膝退をするとき行う。
(二)殿上において物品を授受する時、人と対応する時、又はイフ(拝よりも 軽い敬意を表す行為、お辞儀や会釈の類)をする時に行う。
蹲踞:蹲(うづくま)ることをいう。かかとは平に地につき、膝は真っ直ぐに立て 開かず、すぼめず、脊椎はやや曲がる。     
庭上に於いて道具を揃えたり敷物を敷く作業をする時に行う。
古くは神前を 横切ったり、イフや拝をする時にも行った。 
後に殿上でも行われた。
剣道についてですが、先に述べたとおり江戸時代の初期には野外で稽古をする のが一般的でした。
その頃は蹲踞と跪居は明確に区別されていたはずですが、時代が 下って板の間の道場稽古が普及するにおよんで、その区別が曖昧になってきたころに 相撲の解釈を取り入れてしまった、と考えられます。
相撲において、跪居の変形を蹲踞とするのは筋が通っているといえますが、板の間で 稽古する剣道においては、執刀の礼は両膝をついた跪居でなければ道理に合いません。

抜刀

剣道の理法には、抜刀に関する点は居合道の領域に入るが、「刀を鞘から抜く」という行為は、実はそんなに簡単ではない。刀と言うのは、ただ柄を引っ張っても抜けるものではない。抜き方は他にもあるが、ここでは「外切」を紹介する。「外切」は、親指を鍔に掛けて、押し出すようにして鯉口を切る。また、刀を抜くためには、まず、左手で鯉口を切り、右手に柄をかけなければならない。この時、刃は上を向いた状態で差されているのであるから、柄の上から横から手を掛けてそのまま抜いても、鞘から放たれた刀の刃は切る方向に向きにくく、向けたとしてもその時の握りは斬りてになっていない。斬り手でない握りの斬撃は、刃が立ちにくく、目標とする部位に刀が当たっても弾かれやすいなど多数の弊害がある。柄を上や横から手を掛けて握ったとしても、抜きつける直前までに、つまり、刀身が鞘に納まっている間に鞘を傾けるなどして右手の位置をずらすことによって、斬り手で抜きつけることも可能であるため、剣道では、竹刀の抜刀についてとくに指定はない。しかし、それでは余分な動作が多くなってしまうこととなり、無駄がある分、斬り手で抜きつけることの確実性も圧倒的に低くなる。それを克服するためには、手を極力下から柄に掛けるようにしなければならない。手を下からかけ柄を緩やかに握ることによって、右手の状態は斬り手に近いものとなる。